旧い話をします。父方の祖父、海軍の下級士官だった元一(モトイチ)は、昭和21年のはじめに腹部の銃創をこじらせて長野県の病院で死にました。よくは知りませんが腹膜炎か敗血症といったところでしょう。祖父は横須賀と伊豆諸島を往復する小型輸送船の艦長を務めており、終戦のときは中尉か大尉かだったと思います。

いずれにせよ大物ではありません。それが昭和20年7月の横須賀空襲で、停泊中の自艦デッキ上にてP51による機銃掃射を腹部に受け、重症を負いました。あと1ヶ月で終戦だったのに、逃げきれなかったあたり、お気の毒。そのまま横須賀の海軍病院に入院となりました。それなりの重症ではあったものの、命に関わるまでの傷ではなかったと聞かされています。そして終戦玉音放送

晴れてお役御免のはずが、話はおかしなことになります。海軍病院の入院病棟を、流言飛語が埋め尽くしたのです。武装解除された横須賀に鬼畜のごとき米兵が押し寄せ、狼藉の限りを尽くすだろう。上陸した彼らは軍人軍属を皆殺しにし、女子供は陵辱の末に殺され、動けない入院患者などひとたまりもない。

祖父はその噂を真に受けて、このままでは殺される、なんとか生き延びねば、と生まれ育った長野県伊那郡の病院に地縁をつたって転院しました。手術して間もない時期の長距離移動に加え、転院した田舎病院の遅れた設備、戦後の医薬品不足などが重なって、腹部の傷から感染症となり、祖父を死に至らしめました。

情報は人を殺す。父からこの話を聞かされた、幼い私が思い浮かべたことです。情報で人は死ぬのだな、と。付け加えれば流言飛語を信じ込んだリテラシーのなさも人を殺すわけですが、昭和の私はリテラシーという言葉を知りませんでした。私が息子に何か有用な話をしてあげられる気はしないのですが、情報は人を殺す、このフレーズは家訓として手渡すことができるかな、とは思っています。どっとはらい

更科みたいな白い蕎麦で最初に美味さを教えてもらったのは阿佐ヶ谷の慈久庵で、それがたぶん平成元年のことだった。バイト代持って、1人で行った。こまっしゃくれた、嫌な高校生だったわけです。たしか2000年前後に茨城かどこかに移転してしまったのを思い出して検索してみたら、きちんとお店を続けてらっしゃるようで安心した(お酒の価格帯が安くなっている気がして、デフレっていやね)。

なんで白い蕎麦って限定づけたかといえば、それに先駆けて黒い蕎麦つまり田舎そばで鮮烈な体験があったからで、その店のことを不意に思い出したので、書き留めておこうと思う。その店は国分寺消防署からさらに北に少し入った、住所でいったら本多5丁目になるんだろうけど何の変哲もない住宅街のなかにあって、なにより特徴的なのはただの一軒家だったことだ。

札のような看板が立てかけてあった気がするんだけど、それ以外ほんとに、人んち。人んちの門を入って庭を歩いて縁側から上がり、実家めいた一般家庭の居間か食堂に通されて、それでも居間と食堂とで8席くらいはあったのだろうか、お座布団の敷かれた椅子に座って、蕎麦が出てくる。昼だけの営業で、メニューは確か1種類しかなかった。

いや天ぷらがあったのかな、もう記憶が怪しいけど、とにかく手打ちの十割蕎麦が出てきたのだった。いまとなっては珍しくもないだろうけど、1989年か90年かの当時、街場の蕎麦屋ではまだ、いまでは富士そばでしかお目にかかれなくなったグレーの星入り蕎麦がふつうに供されていて、立川の貧乏人の家で育った私はろくすっぽ蕎麦のかおりなんて知らなかったので、すすった蕎麦から蕎麦のかおりがしたということ、それだけでえらい感動したのを覚えている。

付け加えると、蕎麦のかおりというのが幼い頃に練ってもらったそばがきの匂いだと気づいて、なんだ、おれは知ってたんじゃん蕎麦のかおりを、と拍子抜けもしたのだった。それと蕎麦湯というものを初めて見たのもその店であった。どうやって飲んだらいいのかわからなくて、アタフタしていたのだが、隣の客がするのを真似して、事なきを得た。Googleのない時代の高校生なんて、そんなものです。

その不思議な店には昼休みに高校を抜け出して3度ほど行ったのだが、大学生になったある日に行ってみると、完全にただの民家に戻っていて痕跡すらなかった。あの店が自分のなかの蕎麦を評価する軸に、いまだになっているのは間違いがない。心情的にはその店や店主にまつわる情報が得られたらうれしいのだけれど、ネットを探してもそんな記述どこにもないし、そもそもあの店に店名があったのかも怪しいので検索もはかどらない。

いまどきの脳みそというのは単純なもので、ネット上に記述がないと、ほんとにそんな不思議な店あったのだろうか、自分が記憶のなかで捏造したフィクションなのではないだろうか、と急に不安になってくる。いつか蕎麦好きの誰かがこの記事にたどり着いて、私も行きましたよその店、と言ってくれる微かな希望をこめて、今日の日記をネットの海に放流します。

 

 

1ヶ月早いねー。最近の自分を振り替えると、まずはネガティビティだと、アトピーの悪化が最大のトピックとしてある。理由は簡単で、去年顕著な効果を示したデュピクセントが、1月に保険会社を切り替えたとき、自分の下調べの至らなさから同じ処方箋で処方され続けることができなくなって、またいちからやり直しってことになり、この3ヶ月、使えなくなってぶり返していたのだった。

別にデュピクセント前に戻っただけでしょ、といえばその通りなのだけれど、人間というのは脆いもので、いったん病状が大幅に良くなってしまうと、そこから悪化するのはほんとにメンタル的にしんどいのだった。デュピクセント前の症状レベルを100、後を20くらいと考えるなら、いま8〜90くらいまで戻ってしまった感じなんだけど、精神的には200くらいしんどい。よくこんな地獄で何十年も生きてたなー俺。

いままた処方のプロセス中なので、この地獄もそう長くは続くまいとは思って、家族もいるしさ、地下鉄に飛び込んだりするのは踏みとどまっている。おれがいちばんアトピー悪かったのは23のときなんだけど、あのとき、ほんとに気を許すとすぐに飛び込んでしまいそうになるので、とにかくプラットホームの真ん中しか歩かないようにしていたのを、病院があった御茶ノ水の駅の風景とともにいまでもはっきり思い出せる。

ちなみになぜ保険の切り替えでトラブったかというと、自分の主治医が保険の対象内にいるかどうか、保険会社のサイトでちゃんと検索して表示されたので安心していたのだけれど、自分の無知というか大きなトラップというか、こちらの医師は複数のアドレスを持っていて、自分の主治医の場合、入院病棟のアドレスは保険適用内なのだが、外来病棟のアドレスは適用外だったのだ。なんだそれ。

そんなわけで人間としてのアクティビティは大幅に低下していて、ジョギングもせっかく温かくなってきたのにやめてしまった。まずい。一方のポジティビティだけど、何をいまさらと言われそうだけど、最近、楽器の練習が楽しくなってきて。ようやくすぎんだろ、って感じなんだけど、ようやく弾いてて楽しい、楽しいから弾く、弾いてるから弾けるようになってくる、というサイクルが回り始めたのかもしれない。

あと諸事情で通い始めたシティカレッジのジャズスタディなんだけど、すごい良いです。40人くらいしかいない小さな学科なので、こうファミリー感があるというか、目が行き届いている感じがあるし、なんとかこの子らをジャズクラブに出れる程度には仕上げて送り出さないと、というファカルティの熱意も感じる。公立だから学費も私立音大の1/3だし、留学先としてはけっこういいのでは。

バークリーみたいにプロ顔負けの同級生がいたり、バラエティに富んだ科目があったりいろんな豪華ゲストがやってくるきらびやかさはないんだけど、自分にはすごく合ってる感じがするし、楽しいです。あとシェパードホールというお城みたいな校舎が、古くて不便もいろいろあるんだけど、めちゃくちゃ雰囲気よくて元気になります。

ただ学校も行って仕事もして、ってなるとほんと忙しいね。ほんとは寝込んでる暇ないんだけど、アトピーの悪化とともに発熱の回数も増えてきて、空いてる時間はだいたいベッドに伏せってます。家族のサポートがあってなんとかやれてるのがほんとうのところ。そんなところで。

Basquiat's Bottleで連絡先を聞かれたシンガーのシャイナたんから「ベース探してんだけど」ってテクストが来たので、断る理由もなく引き受けたのだった。そんで月曜にリハがあって、水曜に本番だったのだけれど、それなりに楽しくできて、チップもそこそこ乗ったし、ハコからは来月も同じメンバーでやるオファーも入り、ひとまずはホッとしている。

メンバーみんな、決して卓抜したプレイヤーではなかったけれど、お互い励ましあっていい出力ができたし、なにより現場がいいムードで、結果演奏がよくなっていって、やってて楽しかった。以前トゲトゲした現場で萎縮しまくったことがあって、そうなるとこちらも普段に輪をかけてろくなプレイができなくなり、ヘボいとさらに当たりがトゲトゲを増すわけで、ほんとあれしんどかったな。

以前Fラン大学の話をしたときに少し書いたかもしれないけど、Fラン大学では学校側が生徒の能力を一切信用していなくて、大学生なのにカリキュラムを自分で決めさせてもらえず、パソコンすら自由に触れない。そうやってバカ扱いされることが日常化していると、人は実際バカのように振る舞い始めるし、そうなったらそのバカ環境から抜け出すことは普通の環境下でレベルアップを図るより何倍も何十倍もたいへんになる。

この歳になって確信しているのだけれど、もし現状能力の低い人に少しでも良いパフォーマンスを発揮してもらおうと思ったら、鞭打ったり踏みつけたりしても高い確率で望みは叶わない。叩き落として這い上がってきたやつだけ残せばいいんだ、って人がどんな世界にも一定数いるけど、なにより不効率不経済だし、這い上がれなかった人たちで死屍累々になるし、いいことひとつもないよマジで。社会悪。

なので、大人として人間としてすべきなのは、一種の投企とでも言えばいいのかな、少々あぶなっかしくても他人を信頼してその可能性に賭けてあげることだとつくづく思った。今回がそうだけど「あなたのプレイが好きだし頼りにしてるわ」って言われ続けてると、実際おれみたいヘボでも演奏がよくなったりするのだから、褒めて伸ばすとか立場が人を作る、みたいのはある面で真実なんだろうし、アメリカの病理として論われることの多いナイスガイ抑圧も、経済的合理性があるのだなーと思う。

でも実際、自分がFラン大学の先生になったりターミナル駅前にある不動産屋の社員になったり光通信系の携帯ショップに勤めたりしたら、ゾッス激詰めをやらずにニコニコしていられる自信があるかというと、どうだろう。いま地獄のただなかにいる人から、お前が恵まれた環境でぬくぬくやってきただけだろ、と指弾されたら、やはり心許ない気分にもなってくる。

今週まだ2度、5kmずつしか走ってない。やばい。がんばる。

日本から来たなぎらが泊まっていて、いろんなとこ連れ回してる間に1週間が終わってしまった。いろんなとこっつってもNubluのRay Angryのジャムに連れて行って、Jazz GalleryにAaron Parks見に行って、あとはひとりで勝手に回ってもらってたんだけど、あ、そうだ紹介してもらった押野さんと村長がくっそ面白かったのと、あとユキと馬場くん(初対面)とでUticaでメシを食った。

ソファで寝れるか少し気にしていたのだがすぐ寝るタイプだったので何の心配もなかった。うちの奥さんもそうなのだが、とにかく寝入りが良いタイプに生まれるということは幸福への切符を手にしていることだなーとつくづく思う。もちろん私は死ぬほど寝つきが悪い。それでも最近ようやく浮上の兆しが見えてきたので全力でがんばろうと思うのでした。子供の日記みたいだな。おしまい。

 

以前「人の作ったものには出来の良し悪し、上等下等が厳然としてある」、という内容のツイートをしたところ、軽い炎上状態になったことがある。おおよその反対意見は「良し悪しなんて誰が決めるんですか」「他人を見下して何様なんですか」「好きなものを好きと言って何が悪いんですか」といった感じだったのだが、正直、自分としては少し驚いた。

燃えると思ってなかったからだ。言うまでもなく良し悪しと好き嫌いとはたいして関係がないし、好きなこと・ものがあるのはたいへんに結構なことだし、たとえば私は高級チョコが苦手で安手のチョコレートが好みなのだけれど、自分の好きな安チョコを安いチョコだねと言われても貶されてるとは感じないし、かといって高級チョコと安チョコとは厳然として区別されるべきだろう。

なのだけれど、事実としてこれまでのツイ歴トップ3に入るくらいは反対や罵倒が寄せられたので、なんか世の中のへんなボタンを押しちゃったのだな、くらいには不思議に思っていた。それでもう何年も前の話だからとっくに忘れていたのだけれど、先日テレビを点けていたら「芸能人格付けチェック」という番組をやっていて、ははあ、これか、と思ったのだった。

いくらかバイアスのかかった要約をすると、高い肉と安い肉をブラインドで食べさせ、安い方をおいしいと言った人間を吊るし上げて笑い者にするバラエティである。正直ロクでもないな、有害だな、と思った。第一には、ほんらい高級品と安物を鑑別するゲームなのに、不正解者は安物を「好んだ」とミスリードしている。つまり良し悪しと好き嫌いを意図的に混濁させる仕立てで、そこに悪意がある。

そのうえで「安物を好む者は人間として下等である」という演出がなされており、下等ゆえにコケにして笑い者にして虐めてよいし、椅子を取り上げ床に座らせてよいし、人間性も卑しく貧しく低劣である、と番組の最後まで一貫して強く表現している。この価値観をみずからに敷衍すれば、もし自分が上等じゃないものを愛好していることになったら、笑い者の誹りを逃れ得ない、と思うはずだ。 

 ああやってシリーズが続く程度には人気番組なのだろうから、あの番組の発しているメッセージが国民的に浸透していることは想像に難くないし、ゆえに自らの趣味嗜好をジャッジされたくない、されたらたまったものではない、という忌避意識は広く共有されているのではないか。そこに大衆的みつを思想と相対主義とが都合よく吸着されて、「物事に上も下もない」「あなたが好きになったものが良いものなのだ」「これも良いしあれも良い」みたいなテーゼが普及したのではないか。

しかしそこには矛盾があって、メディア上では上等下等がコンテンツ化されて三宅裕司を笑い者にしていいのに、自分の嗜好は相対みつを主義(へんな言葉がいま誕生した)によって安全を担保されている、というのはいささか卑怯である。国民的卑怯である。ここで海の外からグダグダ述べたところで何が変わるでもないことはよくよく承知しているけれど、望むらくは上等下等、高級低級と好き嫌いとがヘルシーに分離両立した価値観が広く普及したらよいのになー。そんなことをガクトの顔を見ながら、思った。

月水金は学校までの往き帰りで2時間以上を費やしているのだけれど、そういう通勤通学時間を持つのが15年ぶりなので、いまんところは音楽を聴いたりキンドルを読んだりして、楽しい。たいして混まないのもいいし、やっぱり日本の通勤電車とは精神風土が違うので、きのうは変なおっさんいたけどさ、基本的には健やかな気持ちでいられるのがいい。贅沢を言えば、地上を走る電車に乗りたい。その話は、また。

無敵の人、というのを見た。人生初。

急行の地下鉄AトレインDトレインはコロンバスサークルを過ぎると7駅も飛ばすので、京王線特急の明大前=調布間ほどではないけれど、その間車内は閉鎖空間と化す。無敵の人はそこに乗ってきた。50代くらいのヨーロッパ系で、小太りで、身なりは貧しい。水筒サイズのBluetoothスピーカーを持っていて、フルボリュームでヒップホップを流しながら、私とドアひとつ離れたはす向かいにドカリと座った。

座っているわたしの目の前には上品な服装をした南アジア系の、ボストン眼鏡をかけた細っこい男性が立っていて、あまりのやかましさに音の方を見つめている。電車が発車してしばらくして、しかしボリュームは一向に変わらず、わたしの真向かいに座っている黒人男性がさすがに注意しようと腰を浮かしたとき、ほんとにその瞬間、無敵の人は大声で喚き始めた。

「おい移民野郎、なんで俺のこと見てる」「……別に」「なぜ俺を見据えてるのかって聞いてるんだ」「…音楽を聴いてた」「嘘つけ、俺にガン付けてただろう、お前は移民だから知らないだろうがな、そういうのをガン付けるって言うんだこの国では。無礼なことなんだ。お前はどこの国で生まれた? おれはニューヨーク生まれだ。俺が教えてやる」「ガン付けたりしてない。あとあなたは落ち着いたほうがいい」

現代病、とのそしりを受けるべきだろうが、この間わたしが思っていたのは「うわーこれ動画で見たやつだ」と「動画撮りたい、でもカメラ向けたら暴れ出しそう」、あと「ぜったいこのあと『英語を喋ってみろ』って言い出す」だった。しかしながら予想は外れ、この手の動画にお定まりの「英語を話せ」は出てこなかった。理由はたぶん、移民の彼のほうが流麗な英語を話していたからだろう。

いずれにせよ見てらんなくなって、わたしと向かいの黒人の男性は目で示し合わせ、立ち上がろうと腰を浮かした。その瞬間、無敵の人はFワードなどを喚きながら柴田恭兵のような不思議なステップで、ドアふたつ向こうまでスッと遠ざかってしまった。移民呼ばわりされた彼と黒人男性とわたしは肩をすくめ、やれやれ、というジェスチュアをして、125丁目の駅に着くまでの残り何分かを、男に注意しながら過ごすことに決めた。

遠ざかっていった男は、車両の端に乗っていた太った黒人女性に黒人の使う言葉でなれなれしく話しかけ、ついで逆側の席に座っていた白人女性が抱いていた赤ん坊を、ベロベロバーとかなんとか言ってあやし始めた。男はステレオの音量をほぼゼロまで下げ、なんてかわいい赤ん坊なんだ、あなたは素晴らしい母親だ、とか大げさな身振りで言っている。電車は125丁目の駅に滑り込み、ドアが開いて、わたしと南アジア系の彼と黒人の彼とはそこで降りた。

さてわたしが何を感じたか。簡単にまとめると卑劣漢の反射神経はすごいな、ということだ。別の言い方をすると、「無敵の人」というのは「何が起きても無敵でいられるように行動する人」という意味なのだとわかった。どこまでプランでどこから無意識か知る由もないけれど、無敵の人の行動は徹頭徹尾、合理的だった。

まず爆音ヒップホップは、迷惑を撒き散らしてトラブルを呼び込むための撒き餌だろう。もし誰かが騒音を言い咎めれば、格好のトラブル発生だ。仮に黒人なら、恐い黒人に絡まれていますと周囲にアピールすれば優位に立てるし、白人なら黒人の音楽を差別するのか? お前はレイシストだな? と絡めばいい。それ以外ならこの移民野郎と言えばいいだろう。いずれにせよ喚き散らして罵倒できる相手が見つかって、お得だ。

しかし誰も相手にしなかった。そしたらターゲットの選定だ。車両にはわたしを含め他にも移民っぽい人間はいたなか、もっとも体格的に制圧しやすそうな、ヒョロっとしたメガネ東洋人に絡んだのはやはり選球眼が良い。そして車内でもっとも身体的にめぐまれていた、わたしの真向かいの黒人男性の動作には驚くほど機敏に反応した。彼が腰を浮かすたび、その瞬間に男は行動を変え、動きを封じようとした。

かつ差別的な言動を撒き散らしたすぐあと、黒人女性にフレンドリーに話しかけることで、自分が有色人種に対して差別心がないよう見せるようポーズを取り、直前の暴言の打ち消しを図った。さらに赤ん坊に対して優しいことを大げさにアピールし、自分が善良な人間であることを周囲に見せようとした。しかも赤ん坊が泣かないようにスピーカーの音を下げて。最初から周囲に迷惑な音量だと認識していたという証左だ。

もっと踏み込めば、黒人性の強く貼りついたヒップホップを流していること自体、何らかのサグい雰囲気で自己を補強したかったのかもしれないし、周囲の黒人を味方につけられると踏んだのかもしれない。とかいろいろ勘ぐることができる。いずれにせよ、このレイシズムを傘に着てトラブルを渉猟している男性にとっては、何が起きてもプラスで何が起きても無傷、何が起きてもお得なのだった。

なんだろうね、海底火山みたいな地獄のような環境で、本来毒である硫黄を養分にして生きるチューブワームとかに、ひょっとしたら近いのかもしれんね。置かれた境遇に対して最適化を図ろうとする生物の奥深さを見た気がした。あのおっさんに、何かに傷つくことのできる日がまた、来るのだろうか。風邪で寝込んでる間にジョギングする習慣が吹き飛んでしまった。まずい。