Basquiat's Bottleで連絡先を聞かれたシンガーのシャイナたんから「ベース探してんだけど」ってテクストが来たので、断る理由もなく引き受けたのだった。そんで月曜にリハがあって、水曜に本番だったのだけれど、それなりに楽しくできて、チップもそこそこ乗ったし、ハコからは来月も同じメンバーでやるオファーも入り、ひとまずはホッとしている。

メンバーみんな、決して卓抜したプレイヤーではなかったけれど、お互い励ましあっていい出力ができたし、なにより現場がいいムードで、結果演奏がよくなっていって、やってて楽しかった。以前トゲトゲした現場で萎縮しまくったことがあって、そうなるとこちらも普段に輪をかけてろくなプレイができなくなり、ヘボいとさらに当たりがトゲトゲを増すわけで、ほんとあれしんどかったな。

以前Fラン大学の話をしたときに少し書いたかもしれないけど、Fラン大学では学校側が生徒の能力を一切信用していなくて、大学生なのにカリキュラムを自分で決めさせてもらえず、パソコンすら自由に触れない。そうやってバカ扱いされることが日常化していると、人は実際バカのように振る舞い始めるし、そうなったらそのバカ環境から抜け出すことは普通の環境下でレベルアップを図るより何倍も何十倍もたいへんになる。

この歳になって確信しているのだけれど、もし現状能力の低い人に少しでも良いパフォーマンスを発揮してもらおうと思ったら、鞭打ったり踏みつけたりしても高い確率で望みは叶わない。叩き落として這い上がってきたやつだけ残せばいいんだ、って指導者がどんな世界にも一定数いるけど、なにより不効率不経済だし、這い上がれなかった人たちで死屍累々になるし、いいことひとつもないよマジで。社会悪。

なので、大人として人間としてすべきなのは、一種の投企とでも言えばいいのかな、少々あぶなっかしくても他人を信頼してその可能性に賭けてあげることだとつくづく思った。今回がそうだけど「あなたのプレイが好きだし頼りにしてるわ」って言われ続けてると、実際おれみたいヘボでも演奏がよくなったりするのだから、褒めて伸ばすとか立場が人を作る、みたいのはある面で真実なんだろうし、アメリカの病理として論われることの多いナイスガイ抑圧も、経済的合理性があるのだなーと思う。

でも実際、自分がFラン大学の先生になったりターミナル駅前にある不動産屋の社員になったり光通信系の携帯ショップに勤めたりしたら、ゾッス激詰めをやらずにニコニコしていられる自信があるかというと、どうだろう。いま地獄のただなかにいる人から、お前が恵まれた環境でぬくぬくやってきただけだろ、と指弾されたら、やはり心許ない気分にもなってくる。

今週まだ2度、5kmずつしか走ってない。やばい。がんばる。