新年から始まってるはずの保険のカードが届かない。カードが届かないと自分の被保険者番号がわからないので定期的にオーダーしている薬の発送が止まってしまい、往生する。英語で電話するのが嫌すぎるので近所の支店に出かけてみたら、忽然となくなっていた。たぶん大晦日まであったと思うんだけど、変なところで仕事早いので笑う。電話いやだなー。

カンタさんとナーセさんが遊びに来て、うちでお茶を飲んだのち、奥さんも連れ立って4人でマンハッタンに繰り出した。流行ってるとうわさのKava Barに行ってみる。カヴァはポリネシアだかミクロネシアだかで飲まれている木の根っこをすりつぶした汁で、現地では遊びとか儀式にドラッグ的な用途で使われているらしい。とりあえず店は満席、立ち飲み客まで出てるので、流行ってるのはほんとうだった。

初めてでーす、って言って、3種類あるうち効き目がわかりやすく出るってやつを頼んでみる。泥水をすすって生きるとはこのことで、覚悟はしてたけどくっそまずい。まずいんだけど、すぐに舌の付け根あたりに違和感を感じて、のどのあたりが痺れてくるのがわかる。これはあれだ、胃カメラのときに飲む麻酔ゼリーにそっくりだ。もっと気のせいレベルの効き目かと思ったら、すぐにはっきり身体に出たので少し驚いた。

 ただトリップ感はないし、酩酊感もほとんどない。効きが何に似てるかっていったら、デパスだと思う。デパスひと齧りって感じ。ちょっと鎮静っていうか、ダルくなるくらい。これ楽しくなるくらい精神作用が出るにはかなり摂取しないと無理だと思うけど、くっそまずいからそんなに飲むのは現実的じゃない。うーん、満席になるほど面白いとは思えなかった。あと自分がもうドラッグとかトランスとかトリップとかそういうことに対する興味が薄れてしまったんだな、ということを確認した感じ。

喉がしびれたまま近所のベトナム料理に入ったんだけど、メニューを注文してる間にもう、痺れも頭の鈍さも抜けてスッキリしてきた。この抜けの良さつまり代謝の早さはちょっと面白いと思った。フォーなど食し、会社の新年会に行くというカンタさんたちを見送ったのち、奥さんと日本人パティシエのデザートバーに寄ってパフェなど食す。店を出ようとしたところで入店しようとする岡田&オットー氏とばったり。新年のごあいさつなど。なんかこの年末年始は日本語ばっか話してて心配になるな。

 

 

昼、用事があって珍しくロックフェラーセンター付近にでかける。東京でいえば銀座や日本橋方面に出かけるようなものなので、いつも場違いだな、縁がないな、という気持ちに軽く包まれながら歩き、用事を済ませ、特に他に用もないのでどこも寄らずに帰ってきたのだけれど、セントパトリック教会とセントバーソロミュー教会という超弩級の教会が2本おっ立っているので、あれのおかげですさんだ気分が少しよくなる。

いっとき教会の遠景ばかり写真に撮っていたことがある。日本のオーディナリーな住宅街に、ふと教会のクロスが覗いている景色。キリスト教の素養がある人間ではまったくないのだけれど、極東アジアの、取り立ててなんでもない地域にひょっこり教会があるという事実だけで、何か小さな救いを授けられたような、なんちゃって敬虔な、なにかに祈るような気持ちのコスプレというか、そういう不思議な気持ちになれるのがおもしろくて、コレクションしていた。

寒いよく晴れた日、そういうなんちゃって敬虔な気持ちになることがあって、そのときの感触を思い出すと、日本に帰りたい気持ちになったりもするのだけれど、実際はそれはただ過ぎた日々へのノスタルジーにすぎないので、地理的に移動したところで何かが片付くわけではまったくない。失われた日々はもうこない。死んだ犬は帰らないし暮らしてた女の子に会うことはもうない。いまは奥さんと仲良く過ごして、死の床でそれを一瞬思い出せたらそれがいいと思う。

何の話だったっけ、とにかく金にまつわる野暮用があってロックフェラーセンターまで繰り出して、用事の最中にメールチェックしたら修理に出していたMacBook Airができたから取りに来いって報せが入っていた。3週間もかかったうえに、ずーっと修理ステイタスがエラー表示のままだったのでたいへんに気を揉んだのだけれど、いちばんイラっとしたのは、あまりにノーレスポンスなのでおとついクレームの電話を入れたら、センターでほったかされてたことが発覚し、しかもその苦情が入ったら超速で修理がなされて帰ってきたことだ。3週間なんだったん。声を大きくしないと何ごとも一向に進まないのがこの国のストレスフルなところだと思う。

ナーセさんが暇しているみたいなので14丁目のApple Storeで落ち合う。スタートレックのクルーみたいな格好したスタッフに、修理に出していたMacBook取りに来た、と言うと、OKあのテーブルで座って待ってて、と言われたのだけれど、待てど暮らせど名前が呼ばれない。30分も放置されたので頭に来て「どーなってんの、待たせすぎだろ」と言うと、2分も経たずにMacBookが出てきた。一事が万事これだ。声を大きくしないと何ごとも一向に進まないのがこの国のストレスフルなところだと思う!

たまにアメリカ帰りの人が、なんでもかんでも大声で主張すんなやって感じでうざがられたりするけど、仕方ないんだよ、それやんないと何も進まないんだからそうなっちゃうんだよ。許して。さておきナーセさんがチャイナタウンを見たい、というので昨日カンタさんに教えてもらった、かつて存在したトンネルの痕跡を見に行くことに。

気が済んだところでEast Broadwayの駅まで歩いて、私はまた別の野暮用に向かっていったのだけれど、その話もくそトランプのご意向で例によって書けないのでおしまいにします。East Broadwayあたりはいまでもほんの少しガラが悪い感じがあっていい。あの辺にもっと詳しくなりたいな。自分の脳内地図ではマンハッタン最後の空白地帯という感じ。

ブログ、ツイートより即時的でないので1日経って覚えてることだけ書く感じがいい。そのとき思ったことをフュッと捕まえてツイートするのも良さはあるかもしれないけど、いまはそれに少し疲弊している気がするし、あと思いついたことを何でも即時的に吐き出してしまうのはやっぱり幼児的が過ぎる気がする。それはチルドレンミュージアムでうちより少し上の子供らを見てて思った。「ママとかげ!」「光ってる!」「こわい!」タイムラインだ。

お茶の旧い友達にナーセさんという人がいて、まあ逆立ちしても一生かなわないようなほんとに敵わない趣味人なのだが、こないだ帰国したとき彼がNYに友達がいて…と言い出したので聞いてみたら、去年モスデフのブルーノートのとき知り合ったカンタさんのことだった。それをカンタさんに伝えたら彼が面白がってナーセさんをNYに呼び寄せてしまったので、新年に集合とあいなった。

ハーレムに、すでに3回行っているフライドチキンの店があるのでそこに行った。フライドチキンなんてどこで食べても大して変わらんと思っていたのだが、そこのは圧倒的に少し違うのである。「圧倒的に少し違う」というのは生きてくうえで結構大事な感覚だと思う。ハイハットのチューニングを変えると音楽は圧倒的に少し変わる。そこのフライドチキンは揚げるときにフライパンを使う。浅い油で揚げるのが違う理由なのだという。冗談みたいだが食べれば3人揃ってなるほどとなるのだから食べ物はすごい。

食い終わってお茶でも飲もうといって移動したのだが、バス停のマシンで支払いするタイプの「Select」というバスに駆け込んで乗ってしまい、車内で払おうとしたら外で払う仕組みだから次回でいいよって言われてそのまま乗っていたのだが、いくつか目の停留所で制服のおっさんたちがドカドカ乗ってきてレシート見せろというのでめでたく無賃乗車でしょっぴかれてしまった。なぜか私だけ違反切符を切られて、検索したら罰金100ドルだというのでふざけんなと思って抗議したら、切符に書いてある電話番号に異議申し立てしろと言われて、英語で異議申し立て、考えただけで地獄のようにうんざりして落ち込んでしまった。

切られてる間にもうひとつ落ち込んでいたのだけれど、車内にその取締官たちが乗り込んできて、車両の前のほうの乗客を調べたり降ろさせたりしている間に1分くらいの間隙があった。後部のドアが開きっぱなしになっていて、そこから降りて逃げようと思えば逃げられたし、実際逃げようと腰を浮かしたのだった。なんだけど友達ふたりがいっしょでなんとなくバタバタしたくない気になって、腰を戻しそのままボンヤリ数十秒座り続けてしまった。それでお縄になった。

自分はこれまでの人生を、そういうときに危機を察知してスッと降りられる身のこなしによってサバイブしてきた感覚がある。ゲーセンに何となく嫌な感じのヤカラが入ってくる。まだ何も起きないのだが何となく嫌な感じがするままに「あ、もう塾行くわ」って退出する。数十分後にケンカをふっかけられて酷いことに、みたいなヤンキータウンで育った虚弱児童ならではの危険察知アンテナが自分にはあってそれを信用していたのだけれど、今回それが働かなかった、正確には心の中でその声をはっきり聞いていたのに行動に移さなかった。「降りようか」まで口に出して言ったのに。

コートのポケットの中で反則切符に触りながら、そのことに自分でたいへんなショックを受けていた。これはあれだ、津波か乱射かなんかで逃げられたのに逃げず死ぬサイドに足を突っ込んでいる。ハゲやデブなんかより何千倍もシリアスに自分がすごく劣化した感じがする。着いた喫茶店はもう閉まりかけていて入れなかった。マクドで数時間だべって帰宅。生き物としてのポテンシャルが落ちていることをリカバーするために何をしたらいいのか帰りの電車で考えていたんだけど、よくわからない。

あけましておめでとうございます。

今年は何かなにもかも見直さなければならない年だなって感じがしてます。小さいところでこのブログだって、はてダにしがみついてても仕方ないと思って移行してみたけど、デザインひとつうまく選べないし、そもそもTwitterで言いたいこと放出しちゃってる日々でいいのか、それともまとまった形でブログに書き出すべきなのか、そういう方針すらうまく立てられていない。

そうだなー、方針。いま自分には方針が圧倒的に欠如しているような気もする。方針を立てないといけない暮らしをしてきた間は、方針ってもんはダサいぜーと思いながらイヤイヤ立てていたんだけど、いざ自分は方針がすっかりない状態でもよくなってみて、そうするとやっぱり不安になるもので、地図とか方位磁石とかそういうものを欲しているのではないかという気が、すごいする。

とりあえず何から手を付けていいのかわからないですけど、またブログを付けてみようかなーという気になっています。年末に戯れにgore-texのスニーカーだけスクラップするインスタのアカウントを立ち上げてみたんだけど、それはまあ大した話ではないんだけれど、何かを管理画面に叩き込んで公開ボタンを押すということをひさしぶりにしてみて、懐かしい快適さに包まれた感覚があったので、うん、試しにね。

年越しは遊びに来てるinowledgeカップルとライブに行って過ごしました。Ghost notesとKNOWERのツーマンだったんだけど、見事にどっちも自分の好きなサウンドではなくて笑った。ただすごく興味深かったので行ってよかった。モノニオンもルイス・コールも「症例」フィーリングがすごい強くて、具体的にはADHDっぽさ、病名としてよりパーソナリティの傾向としてのADHDフィーリングが、そのまま音楽性に出てるなーって感じを強く受けた。

そんでまた、それがオーディエンスのADHD感覚と共鳴して、フロアが盛り上がるんだよね。それは同時に彼らのYoutuberっぽさ、客のYoutube見てるっぽさと通底している感じがあって、その意味では新しい音楽なのかなと思いました。音楽的にはすげー軽くてちゃかぽこしてて再来ニューウェイブみたいでまったく乗れなかったけど、それは自分の偏向の問題だから、Irving Hallくらいの箱がほぼ満員になって盛り上がってる現実を見つめよう。

スパット・シーライトは黒人だけどクリーンなドラミングで、けっこうビートが軽い。ライブのなかで合計4分くらいすごい好みのビートを叩く時間があったのだけれど、ゴーストノートのコンセプトとしてグルーヴがじゃんじゃん変わっていくスタイルなので、オッいいな、と思った瞬間にもう次の音楽に変わっている。

リズムフォーミュラが刻々変わっていくというのは、ワングルーヴはめ殺しタイプのライブ演奏に対するカウンターとしての動きなのだろうけど、間違いなく言えるのは、刻々変えるためにはリハが必要で、それはつまりコンポジション性の強い音楽にならざるをえないということだ。ハメ殺しは打ち合わせしてもしなくてもどっちでも豊かに作れるけど、キメのある音楽はリハしなければならない。そしてリハの多寡が音楽性のある部分を決定する。

なんかツーマンのどっちのバンドの話をしてるのか判然としない気がするけど、どっちのバンドも共通してそういう感じだったんで、音像は全然違うんだけど、なるほどこのツーマンかって思った。キメが多くて、リズムフォーミュラをじゃんじゃん変えて、おもちゃ箱的な要素の多さで盛り上がるような、幼児性が底に流れた…、あー幼児性は感じたなー、良くも悪くも。

KNOWERはバンドセット、ふたりカラオケ、ルイス・コールのabletonソロ、またバンドセット、最後にghost noteとのジョイントというガチャガチャした構成で、バンドセットの間は基本ルイス・コールがドラム叩いてるんだけど、それでもブレイクの間にステージ上をうろうろ歩いていろんな楽器を鳴らしたりして、つまり落ち着きがない天才って感じはジェイコブコリアの何倍も感じた。

バンドセットのベースの人うまかったなー。サム・ウィルクス? 手で弾きたくない感じのメカニカルなシークエンスをなんなくこなしてたし、安定してた。安定といえばモニタが悪いのかモノニオンのプレイが心配になるくらい不安定だったんだけど、ロビーですれ違ったらアムラーみたいな10cm超えプラットフォームのブーツを履いていたので好感度がバカ上がりした。シークレットブーツみたいな陰性の補強じゃなくてキンキラのソール丸出しブーツなのがよかった。

客は白人が9割。そしてたぶんKNOWERの、というかルイス・コールの客が半分以上。ひさしぶりに白人メインの、しかもポップな音楽のライブに行ったので、まったくもってチャラいなーと思いながら見ていた。ダンスが間欠的で、ウオーって盛り上がって、すぐに冷めちゃうタイプのクラウド。それにアジャストした音楽。ghost noteってゴーゴーバンドにもフュージョングループにもミニスナーキーにも見えるんだけど、それがクルクル変わってくのが新しいんだなーって思った。

カウントダウンのばか騒ぎを遠目に見て退出。去年よく使ったケロッグというファミレスに寄ってダベってから帰った。せっかくのNYなのに遅くまで引っ張ってしまって申し訳なかったな。帰宅して倒れて目が覚めたら、奥さんと近所の和食屋で買ってきたおせちをつついたけど、うまいまずい以前になんとも統合感に欠けた貧しい味付けで、ちぐはぐなお重だった。おいしいのも数品あったけど、次はないな。

去年は日本クラブという在米邦人の会員倶楽部がやってる仕出しおせちを買ったんだけど、味でも価格でも日本クラブの圧勝。なのになんで今年は買わなかったかって言うと、その保守的な財界エグゼクティブのためのサロンめいた雰囲気にファックと思って、そんでローカルな和食屋のものを試そうということになったんだけど、残念ながらコンサバ経財おっさんの勝ちなのだった。ざんねん。

ひさしぶりに晴れ間が出たので家族でストライダーかついで公園に行ってみたのだが、お子はこちらの思惑などおかまいなしなので、ストライダーは一瞬で用済みとなって、あとえんえんブランコタイムとあいなった。周囲の親子はサッカーに野球にバスケに興じているが、私は球技一切が苦手である。しかしすぐにお子が球遊びを覚えて、その相手を乞われるのであろう。憂鬱そのものである。

半年ぶり! 生きてまーす。8月の終わりから9月の頭にかけて初めてヨーロッパを旅してきまして、月並みだけどすごい楽しかった。

コペンハーゲン、ベルリン、パリという謎の3都市周遊でしたが、その時期にマイルで取れるNYからの直行便がコペンハーゲン行きしか残ってなくて、ベルリンは旧い友達に会いに行って、パリはやっぱりこの時期にマイルで取れるヨーロッパからNYへの直行便がパリ発しか残ってなかったという、ほぼマイルの奴隷という感じの旅程でした。

いずれの都市もそれぞれ良くって、あれー旅行ってこんな楽しかったっけってくらい楽しかったのだけれど、それにしても決定打は最後のパリだった。どんだけ自分がドン臭いかって話なんだけど、パリ最高だったわー。うっとりしてわけわかんなくなっていた。イヤミはパリにかぶれて帰ってきてああいう言動をするようになったわけだけど、誰が責められよう。

そもそもなんでこの時期に旅行したかっていうと、子供が2歳になると大人と同じく1席購入しなければならなくなるので、その前にヨーロッパでも行っとくか。っていうこれまた貧乏くさい理由なのだった。ほんとは旅行記みたいなの書いてみたかったけど、どうにも余裕なくて書けなかった。

なんでかっていうとその旅行から帰ってきた頃に、自分の滞在許可にまつわる割とクリティカルな問題が発覚して、先週までその対処に延々追われていたのだった。この件残念ながら書ける話がまったくないです。直接ならいくらでも話す。そしてそのせいで一時帰国できるかどうかがずっと宙ぶらりんのまま過ごし、けっきょく予定の2週間前になってようやく行けそうな算段がついたの。正確には帰りの入国できそうな算段が。

なので11月の14日から28日まで日本におります。ほんとはライブのブッキングなど入れたいと思っていたのだけれど、出国できるか不透明すぎて何も入れられなかった。ちょっとまた近々音楽活動のために帰国したいなーとも考えてます。そんなわけで今回はメインはあれっすよ、歯医者と人間ドックと大腸カメラっていう。中年!

あとそうだ、10月の終わりに引っ越したんだった。これもすごい慌ててやって、ビザの件と合わせ技でこの時期すごいしんどかった記憶がある。ただこっちは完全に自分のせいで、前の家は1年契約で1ヶ月フリーレントという契約だったんだけど、それを勝手に13ヶ月契約(1年は払ってプラス1ヶ月タダ)って思い込んでたんだよね。そしたら12ヶ月契約だった。

管理会社から更新する?ってメールが来て、ずいぶん早いなーって放置していたら、もう契約更新のタイミングだったという。間抜けな話です。それで住んでいたウィリアムズバーグは生命線であるLトレインが来年春から最低1年運休するっていう問題を抱えているので、しかもそのくせして更新のタイミングで家賃を上げてきやがったので、出ることにしたのだった。新居はプロスペクトハイツです。また開拓たのしみです。

ジャリが死んでもう2ヶ月が経とうとしていて、オーダーしていた骨壷も届いて、遺灰を骨壷に移そうと思って缶を開けたら中からジップロックが出てきて奥さんと泣き笑いしたり、早朝だけ犬に開放されてる公園を通って帰宅するのもむしろ楽しくて、あーそろそろもう大丈夫かなーって思ってたんだけど、昨日ボストンで通っていた病院から「ジャリくんハッピーバースデー!」みたいなダイレクトメールが届き、しかもなんだか同じ毛色の小型犬の写真が添えられていて(たぶんあれ顧客データから自動で拾ってきたんだと思う)、開けた瞬間に死んだ笑。息が吸えなくなっちゃうんだよね。あと肋間神経痛みたいな痛みが、気持ち的な問題ではなくフィジカルに胸のあたりに発生して、座り込んでしもうた。まだまだじゃのう。

red bull artが主催したラメルジーのエキシビジョンすごくよかった。

こないだbigyukiと半日つるんで遊んでたら翌日疲労で動けなくなってしまい、運動不足を強く感じた。ジョギングすっか。

実は、というほどのことでもないのだけれど、アメリカで暮らし続けているのには音楽のほかにもいくつか理由があって、そのひとつが長年患っているアトピーの治療です。先に結論を書くと、確実に、しかも既存のどの治療とも次元の違う効果が出ています。ただし後述しますがリスキーだなーとも思っています。ここに至るまで紆余曲折あったのでぐだぐだ書きます。

その薬、サノフィ社のデュピルマブをFDAがブレイクスルーセラピーに指定をしたのは2016年9月のことで、そのニュースをボストンで見て、デュピクセント(こっちが商品名)の存在を知ったのだった。調べたらすでに日本を含む世界中で何年も前から治験が始まっていたので、自分はまさに情弱ってことなんだけど、とにかく画期的なアトピー治療薬が開発されていて、FDAが承認を早めるための優先審査を決めたという話だった。

あわてて検索して機序を理解して、ひさしぶりに積極的な治療を受けてみようという気になったのだけれど、ほんとに審査が優先されたようでたった半年後の2017年の3月には処方が始まった。ただ現場投入のニュースでは効き目以上に薬価のことが話題になっていて、具体的には4週間ぶんの注射2本で2840ドル前後。年間37000ドルつまり400万円てーことは、10年で4000万、ジェネリックが出なかったら余命40年として1億6000万。さすがにそれは。いくらなんでも。

とビビっていたところ、保険が適用されて1回30ドルの支払いでしたという人がネットにちらほら現れて、しかも保険の実費分は製薬会社が補助する制度まで登場したので、マジかよ、と思って5月に入ってから大学病院の予約を取ろうとした。ところがアメリカの病院あるあるで最短の予約が3ヶ月先、8月には大学の卒業が見えていてニューヨークに引越しする決心も固まっていたので、8月からボストンで治療を始めてもしゃあないわってんで見送ったのだった。

で10月に引っ越してバタバタしたのち12月にマウントサイナイの予約を取り、ようやく1月にアレルギー科を受診した。デュピクセントに興味あるんだけどって話をして、病院側はあからさまに売りたがってるので二つ返事でさっそく準備が始まったんだけど、おれは非特定IgEの値が5万とか3万とか特別高いので(普通の人は数十〜数百)、まず遺伝子に異常がないか検査をすることになって、半月待って異常なしってことで一安心。

ようやく保険の申請をしたら、今度は保険会社から、ステロイドやプロトピックみたいな既存療法で効果がないことを証明しないと必然性を認めたらんで、つまり保険適用にはしたらへんで、という返事が届いた。さすがに高額医療なのでこのぐらいのハードルはこちらも覚悟しており、医者にプロトピックを処方してもらって90日の経過観察。3ヶ月後に再受診することに。

待機期間かー。と思ってぼんやり暮らしていたところ、1ヶ月ちょい経ったころにExpress Scritpsというまったく聞いたことない会社から封書が届いて、これが紆余曲折でいちばんハテナマークに襲われたできごとなんだけど、あなたの保険申請は諸状況に鑑みて承認されることになった。つきましては当社指定の薬局に連絡を取れ。と書いてある。テキサスかどっかの薬局の連絡先が添えてある。怪しい。

なんでおれの処方箋が知らん会社に流れてるのかもわかんないし、病院と患者と保険会社以外のプレイヤーが保険適応に口を出してくるのも意味がわからなかった。調べたらExpress ScriptsはPharmacy Benefit Managerという業種の最大手で、このPBMという日本には存在しない業種については各自ググってもらいたいのだが、簡単に言うと保険会社と製薬会社の間に立って値下げ交渉をしてくれる会社なのだった。理解するのに2日かかった。

というわけでどうやら保険適用になったらしいので、半信半疑でAccredoという薬局に電話してデュピクセントを注文、5日後にほんとにデュピクセントがクール宅急便で届いた。アメリカに来てから初めてクール便というのを見た。あるんじゃん。信用できないけど笑。これがたしか3月の15日くらいかな。けっきょく現場投入のニュースからちょうど1年経過してようやく実物とご対面とあいなったわけだ。

初回のみ自己注射のオリエンテーションを受けなければならないので、マウントサイナイの予約を取って、医者の予約を取るとまた数ヶ月先なので看護婦だけの特別な予約にしてもらって、3月の23日にとうとう注射をキメたのだった。初回のみ2本ぶっこむ。自費なら30万円ぶんだ。筋肉注射より浅い皮下注射という方式が指定されているため、自分で皮膚をつまんで、つまんだところに45度の角度で針を刺す。

上手上手とおだてられながら両腿にバスンバスンと射ってやった。けっこう痛い。あと薬液を流し込むのにけっこう力がいるのにびっくりした。日本語で読める数少ないデュピクセント体験記のひとつがLAに住むケンさんという方のブログなんだけど、そこには打ったその日から効き目が自覚できたと書かれていたので期待したものの、何も起きなかった。すこし頭が重い感じがするくらい。翌日も翌々日もほとんど変化がない。

4割の人に顕著な効果、というのが触れ込みだったので、あー効かないほうの人間だったかー。はい撤収撤収。と悲観的な気持ちで数日過ごしてみたところ、5日目くらいだろうか、異変に気が付いた。強烈なかゆみも全身の炎症も変わらないのだが、象の皮膚のように硬く粗くなっている皮膚が、腕や腿の一部分でわずかに弾力性を取り戻している気がする。

最初は半信半疑だったのだが、次の注射を打つ2週間後には、確実に象皮状の面積が減ってきているのがわかった。これは新しい。新しいというのは、ステロイドともタクロリムスとも違う不思議な効き方をするな、ということだ。ほんとに徐々に、しかも一進一退なのだが、しかし確実に皮膚が弾力性を取り戻しつつあって、そしてまだごく一部なのだがモザイク状に健康な皮膚といって差し支えない部位が出現しつつある。

かゆみも炎症もまだまだ強い。しかし何十年かぶりに「よくなる」というプロセスを体験していて、正直これはすごいことだと思う。私のような40年を超える病歴の重度患者にとって、人生をまるまる覆っていた病気が快方に向かっているというだけで、なんつうかな、正直に書くが希死念慮がほぼ消失しつつある。FDAが言った画期的ってこういうことかー。病気とそれ以上に薬に苦しめられてきた身にとって、こんなはっきりと医療の恩恵に浴する日がくるとは考えてもみなかったことだ。

ただ、もちろん不安もまだまだ大きい。いちばんは長期的な副作用がまったく明らかになっていないことで、いちおうステロイドやタクロリムスより標的が狭いので副作用が小さいことはわかっているのだが、よく効く薬ほど重篤な副作用を抱えているのは世の決まりであって、ことに全身の免疫系にがつんと手を突っ込む薬である。たとえば未知の免疫撹乱を引き起こすとか、ガンのリスクが上がるとか、それくらいのことは起きてもまったく不思議ではない。

またあくまで免疫系の阻害薬であってアレルギーの発生自体を抑える作用はないので、つまり病気が治るということではなく言ってみれば対処療法である。だからやめることができない。きのうかおとついの読売新聞では薬を中断しても効果が続く可能性がある、と医師がコメントしているけど、アメリカではむしろ、薬を中断して症状がぶり返したら、再度投与したときの効果が弱まる可能性が指摘されている。

それでも。それでもこれは十二分に画期的な薬だと思うし、まあ発ガン率が上がるくらいの副作用だったら自分は使い続けると思う。今年の4月に日本でも処方が始まったみたいだけれど、アメリカよりたいへんに狭隘なガイドラインが発表になった。ひとつにはステロイドとの併用が基本路線であること、また重度の患者のみが処方対象で、症状が軽くなったら従来の治療に戻りなさいと書かれている。軽いアトピーなら甘受しろってことかな。すげえな。

背景には2週間ぶんで8万1640円、年間212万という高額な薬価があって、一昨年おおいに話題となったニボルマブと同じく、じゃんじゃん使われてしまうと保険財源への負担が大きすぎる、という問題があるのだろう。それと厚労省アメリカの半値近くまで値切ったので、サノフィ側が日本への出荷量を絞りたがっている可能性も考えられる。いずれにせよ患者不在のあまりに愚かしいガイドラインを出したものだと思う。最初の話に戻るけど、そういうわけで当面日本には戻れないのですわ。ここでがんばるしかない。