ブログ、ツイートより即時的でないので1日経って覚えてることだけ書く感じがいい。そのとき思ったことをフュッと捕まえてツイートするのも良さはあるかもしれないけど、いまはそれに少し疲弊している気がするし、あと思いついたことを何でも即時的に吐き出してしまうのはやっぱり幼児的が過ぎる気がする。それはチルドレンミュージアムでうちより少し上の子供らを見てて思った。「ママとかげ!」「光ってる!」「こわい!」タイムラインだ。

お茶の旧い友達にナーセさんという人がいて、まあ逆立ちしても一生かなわないようなほんとに敵わない趣味人なのだが、こないだ帰国したとき彼がNYに友達がいて…と言い出したので聞いてみたら、去年モスデフのブルーノートのとき知り合ったカンタさんのことだった。それをカンタさんに伝えたら彼が面白がってナーセさんをNYに呼び寄せてしまったので、新年に集合とあいなった。

ハーレムに、すでに3回行っているフライドチキンの店があるのでそこに行った。フライドチキンなんてどこで食べても大して変わらんと思っていたのだが、そこのは圧倒的に少し違うのである。「圧倒的に少し違う」というのは生きてくうえで結構大事な感覚だと思う。ハイハットのチューニングを変えると音楽は圧倒的に少し変わる。そこのフライドチキンは揚げるときにフライパンを使う。浅い油で揚げるのが違う理由なのだという。冗談みたいだが食べれば3人揃ってなるほどとなるのだから食べ物はすごい。

食い終わってお茶でも飲もうといって移動したのだが、バス停のマシンで支払いするタイプの「Select」というバスに駆け込んで乗ってしまい、車内で払おうとしたら外で払う仕組みだから次回でいいよって言われてそのまま乗っていたのだが、いくつか目の停留所で制服のおっさんたちがドカドカ乗ってきてレシート見せろというのでめでたく無賃乗車でしょっぴかれてしまった。なぜか私だけ違反切符を切られて、検索したら罰金100ドルだというのでふざけんなと思って抗議したら、切符に書いてある電話番号に異議申し立てしろと言われて、英語で異議申し立て、考えただけで地獄のようにうんざりして落ち込んでしまった。

切られてる間にもうひとつ落ち込んでいたのだけれど、車内にその取締官たちが乗り込んできて、車両の前のほうの乗客を調べたり降ろさせたりしている間に1分くらいの間隙があった。後部のドアが開きっぱなしになっていて、そこから降りて逃げようと思えば逃げられたし、実際逃げようと腰を浮かしたのだった。なんだけど友達ふたりがいっしょでなんとなくバタバタしたくない気になって、腰を戻しそのままボンヤリ数十秒座り続けてしまった。それでお縄になった。

自分はこれまでの人生を、そういうときに危機を察知してスッと降りられる身のこなしによってサバイブしてきた感覚がある。ゲーセンに何となく嫌な感じのヤカラが入ってくる。まだ何も起きないのだが何となく嫌な感じがするままに「あ、もう塾行くわ」って退出する。数十分後にケンカをふっかけられて酷いことに、みたいなヤンキータウンで育った虚弱児童ならではの危険察知アンテナが自分にはあってそれを信用していたのだけれど、今回それが働かなかった、正確には心の中でその声をはっきり聞いていたのに行動に移さなかった。「降りようか」まで口に出して言ったのに。

コートのポケットの中で反則切符に触りながら、そのことに自分でたいへんなショックを受けていた。これはあれだ、津波か乱射かなんかで逃げられたのに逃げず死ぬサイドに足を突っ込んでいる。ハゲやデブなんかより何千倍もシリアスに自分がすごく劣化した感じがする。着いた喫茶店はもう閉まりかけていて入れなかった。マクドで数時間だべって帰宅。生き物としてのポテンシャルが落ちていることをリカバーするために何をしたらいいのか帰りの電車で考えていたんだけど、よくわからない。