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実は、というほどのことでもないのだけれど、アメリカで暮らし続けているのには音楽のほかにもいくつか理由があって、そのひとつが長年患っているアトピーの治療です。先に結論を書くと、確実に、しかも既存のどの治療とも次元の違う効果が出ています。ただし後述しますがリスキーだなーとも思っています。ここに至るまで紆余曲折あったのでぐだぐだ書きます。
その薬、サノフィ社のデュピルマブをFDAがブレイクスルーセラピーに指定をしたのは2016年9月のことで、そのニュースをボストンで見て、デュピクセント(こっちが商品名)の存在を知ったのだった。調べたらすでに日本を含む世界中で何年も前から治験が始まっていたので、自分はまさに情弱ってことなんだけど、とにかく画期的なアトピー治療薬が開発されていて、FDAが承認を早めるための優先審査を決めたという話だった。
あわてて検索して機序を理解して、ひさしぶりに積極的な治療を受けてみようという気になったのだけれど、ほんとに審査が優先されたようでたった半年後の2017年の3月には処方が始まった。ただ現場投入のニュースでは効き目以上に薬価のことが話題になっていて、具体的には4週間ぶんの注射2本で2840ドル前後。年間37000ドルつまり400万円てーことは、10年で4000万、ジェネリックが出なかったら余命40年として1億6000万。さすがにそれは。いくらなんでも。
とビビっていたところ、保険が適用されて1回30ドルの支払いでしたという人がネットにちらほら現れて、しかも保険の実費分は製薬会社が補助する制度まで登場したので、マジかよ、と思って5月に入ってから大学病院の予約を取ろうとした。ところがアメリカの病院あるあるで最短の予約が3ヶ月先、8月には大学の卒業が見えていてニューヨークに引越しする決心も固まっていたので、8月からボストンで治療を始めてもしゃあないわってんで見送ったのだった。
で10月に引っ越してバタバタしたのち12月にマウントサイナイの予約を取り、ようやく1月にアレルギー科を受診した。デュピクセントに興味あるんだけどって話をして、病院側はあからさまに売りたがってるので二つ返事でさっそく準備が始まったんだけど、おれは非特定IgEの値が5万とか3万とか特別高いので(普通の人は数十〜数百)、まず遺伝子に異常がないか検査をすることになって、半月待って異常なしってことで一安心。
ようやく保険の申請をしたら、今度は保険会社から、ステロイドやプロトピックみたいな既存療法で効果がないことを証明しないと必然性を認めたらんで、つまり保険適用にはしたらへんで、という返事が届いた。さすがに高額医療なのでこのぐらいのハードルはこちらも覚悟しており、医者にプロトピックを処方してもらって90日の経過観察。3ヶ月後に再受診することに。
待機期間かー。と思ってぼんやり暮らしていたところ、1ヶ月ちょい経ったころにExpress Scritpsというまったく聞いたことない会社から封書が届いて、これが紆余曲折でいちばんハテナマークに襲われたできごとなんだけど、あなたの保険申請は諸状況に鑑みて承認されることになった。つきましては当社指定の薬局に連絡を取れ。と書いてある。テキサスかどっかの薬局の連絡先が添えてある。怪しい。
なんでおれの処方箋が知らん会社に流れてるのかもわかんないし、病院と患者と保険会社以外のプレイヤーが保険適応に口を出してくるのも意味がわからなかった。調べたらExpress ScriptsはPharmacy Benefit Managerという業種の最大手で、このPBMという日本には存在しない業種については各自ググってもらいたいのだが、簡単に言うと保険会社と製薬会社の間に立って値下げ交渉をしてくれる会社なのだった。理解するのに2日かかった。
というわけでどうやら保険適用になったらしいので、半信半疑でAccredoという薬局に電話してデュピクセントを注文、5日後にほんとにデュピクセントがクール宅急便で届いた。アメリカに来てから初めてクール便というのを見た。あるんじゃん。信用できないけど笑。これがたしか3月の15日くらいかな。けっきょく現場投入のニュースからちょうど1年経過してようやく実物とご対面とあいなったわけだ。
初回のみ自己注射のオリエンテーションを受けなければならないので、マウントサイナイの予約を取って、医者の予約を取るとまた数ヶ月先なので看護婦だけの特別な予約にしてもらって、3月の23日にとうとう注射をキメたのだった。初回のみ2本ぶっこむ。自費なら30万円ぶんだ。筋肉注射より浅い皮下注射という方式が指定されているため、自分で皮膚をつまんで、つまんだところに45度の角度で針を刺す。
上手上手とおだてられながら両腿にバスンバスンと射ってやった。けっこう痛い。あと薬液を流し込むのにけっこう力がいるのにびっくりした。日本語で読める数少ないデュピクセント体験記のひとつがLAに住むケンさんという方のブログなんだけど、そこには打ったその日から効き目が自覚できたと書かれていたので期待したものの、何も起きなかった。すこし頭が重い感じがするくらい。翌日も翌々日もほとんど変化がない。
4割の人に顕著な効果、というのが触れ込みだったので、あー効かないほうの人間だったかー。はい撤収撤収。と悲観的な気持ちで数日過ごしてみたところ、5日目くらいだろうか、異変に気が付いた。強烈なかゆみも全身の炎症も変わらないのだが、象の皮膚のように硬く粗くなっている皮膚が、腕や腿の一部分でわずかに弾力性を取り戻している気がする。
最初は半信半疑だったのだが、次の注射を打つ2週間後には、確実に象皮状の面積が減ってきているのがわかった。これは新しい。新しいというのは、ステロイドともタクロリムスとも違う不思議な効き方をするな、ということだ。ほんとに徐々に、しかも一進一退なのだが、しかし確実に皮膚が弾力性を取り戻しつつあって、そしてまだごく一部なのだがモザイク状に健康な皮膚といって差し支えない部位が出現しつつある。
かゆみも炎症もまだまだ強い。しかし何十年かぶりに「よくなる」というプロセスを体験していて、正直これはすごいことだと思う。私のような40年を超える病歴の重度患者にとって、人生をまるまる覆っていた病気が快方に向かっているというだけで、なんつうかな、正直に書くが希死念慮がほぼ消失しつつある。FDAが言った画期的ってこういうことかー。病気とそれ以上に薬に苦しめられてきた身にとって、こんなはっきりと医療の恩恵に浴する日がくるとは考えてもみなかったことだ。
ただ、もちろん不安もまだまだ大きい。いちばんは長期的な副作用がまったく明らかになっていないことで、いちおうステロイドやタクロリムスより標的が狭いので副作用が小さいことはわかっているのだが、よく効く薬ほど重篤な副作用を抱えているのは世の決まりであって、ことに全身の免疫系にがつんと手を突っ込む薬である。たとえば未知の免疫撹乱を引き起こすとか、ガンのリスクが上がるとか、それくらいのことは起きてもまったく不思議ではない。
またあくまで免疫系の阻害薬であってアレルギーの発生自体を抑える作用はないので、つまり病気が治るということではなく言ってみれば対処療法である。だからやめることができない。きのうかおとついの読売新聞では薬を中断しても効果が続く可能性がある、と医師がコメントしているけど、アメリカではむしろ、薬を中断して症状がぶり返したら、再度投与したときの効果が弱まる可能性が指摘されている。
それでも。それでもこれは十二分に画期的な薬だと思うし、まあ発ガン率が上がるくらいの副作用だったら自分は使い続けると思う。今年の4月に日本でも処方が始まったみたいだけれど、アメリカよりたいへんに狭隘なガイドラインが発表になった。ひとつにはステロイドとの併用が基本路線であること、また重度の患者のみが処方対象で、症状が軽くなったら従来の治療に戻りなさいと書かれている。軽いアトピーなら甘受しろってことかな。すげえな。
背景には2週間ぶんで8万1640円、年間212万という高額な薬価があって、一昨年おおいに話題となったニボルマブと同じく、じゃんじゃん使われてしまうと保険財源への負担が大きすぎる、という問題があるのだろう。それと厚労省がアメリカの半値近くまで値切ったので、サノフィ側が日本への出荷量を絞りたがっている可能性も考えられる。いずれにせよ患者不在のあまりに愚かしいガイドラインを出したものだと思う。最初の話に戻るけど、そういうわけで当面日本には戻れないのですわ。ここでがんばるしかない。