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めずらしく朝もはよから立て続けに所用があって、日が暮れるころにはバッテリーが切れてしまい、子供より早くに寝てしまった。体力が異様に落ちている。なんとかしないと。
先日、やり手とされるフィナンシャルアドバイザーの人と話す機会があって、その会話の本筋ではないのだけれど、アメリカの人ってほんとアメリカのことしか気にしてないんだなー、と思うことがあった。その人は世界経済に目を配って投資顧問みたいなことをしたりしているのだけれど、でもその人が何を観察し何を話題にしているのかといったら、アメリカのことばかりなのだ。
なんだけど、実際のところその人は、この乱世(昨年9月にあった大きな潮目以降、世界経済は完全に乱世)に大きく読みを外すこともなく成績を出している。なんでなんだろ。って考えるとたぶん、米国市場にはグローバル企業がたくさん包含されているし、なによりアメリカの政治や景気が世界経済に与える影響は甚大なので、アメリカ中心に見てればおおかた事足りてしまうってことなのかもしれない。
同じことはカルチュアルな分野でも思うことがあって、ジャパンがガラパゴス化したしたっていうけど、ガラパゴス度で言ったら断然アメリカのほうがすんごい。邦画しか見ないアメリカ人、邦楽しか聞かないアメリカ人は日本の比じゃなく多いと感じる。だけども実際のところ、いまだに世界の潮流はポピュラー音楽でも映画でもアメリカ主導で推移しているので、それがガラパゴスには見えないという現実がある。
もひとつはさっきのグローバル企業の話みたいに、沿岸部中心に多民族社会なおかげで、国内コンテンツにいろんな国、いろんな民族からの影響がセットインされている、という側面もあると思う。いまさら言うまでもないけどアメリカ音楽が強靭な理由は、カリブやアイルランドや東アフリカやラテンアメリカや世界中からのエッセンスが溶け込んでいるからで、それは言ってみればカルチャーのグローバル企業ということだ。
すこし話がドリフトするけど昨年はサウスロンドンからの音源がたくさん届いた年で、また個人的にはパリやベルリンを旅して現地の音楽に触れた年でもあった。ところが文化的には好ましい要素満載のヨーロッパ大陸なのだけれど、こと音楽においては、まったくもって自分にとって面白みにかける音楽ばかりだった。なにより驚いたのは、これまで自分は黒人音楽ファンだと思っていたのだけれど、違った、ということだ。
ヨーロッパから聞こえてくる音楽も、半分以上は黒人によって鳴らされていたのだ。だけれどもアメリカの黒人音楽に顕著にみられるような重心の低さとレイドバック感覚が、皆無といっていいほどないのだった。つまりこういうことだ。私は黒人音楽ファンだと自認していたけどそれは誤解で、アメリカの一部黒人の奏でる音楽のファンなのであった。これはいまさらだけど結構自分でびっくりした。
言うまでもなくロンドンもパリもベルリンも多民族が混淆する都市である。だからグローバリズムないし混血性がアメリカ音楽の魅力の一因なのだとしたらヨーロッパ音楽もエンジョイできるはずだと思っていた。でも現実には違った。この事実に対する明解な回答はまだ自分では持ち得ていないのだけれど、なんだろね、混血のエレメントが違う、って話でもないような気がする。アメリカ黒人音楽のローカル性、特殊性というのを今年は考えていきたいと思っている。