今週いっぱい春休みで学校ありません。ちょっと、いやだいぶ気分が滅入っていたので、楽器をまったく触ることなく1週間が過ぎていきます。ジャックブルースが昔、気が乗らないときは楽器を触らないこと大切だ。みたいなことを言っていた気がするので、ただの怠惰なのだが、まあ、いいことにする。

どのくらい怠惰かというと、カルテットの流れで最高の離婚も全話みてしまった。とにかく良かったのだがラスト近くの「君をのせて」で泣き崩れてしまった(若い方へ。沢田研二のほうです)。「君をのせて」は「夢が夢なら」と自分のなかでほぼ同じ位相を占めていて、ひとことでいうなら「夜舟ソング」ということになる。この「夜舟」という思春期特有の陳腐でトラウマティックなイメージについては、まだ酒を飲んでいた頃のおれから酔いどれ話としてなんども聞かされ迷惑した方も少なくないと思うのだが、とにかく10代のある時期から20年近くにわたって繰り返し夢に登場したモチーフであった。

夢の内容はかんたんだ。夜、玉砂利の浜にいる。大河の河口なのか島があるのか、沖の向こうに黒く対岸が見える。私は舟を出さなければならないが、相方がいない。兄弟船か何か相棒を連れた舟を横目に眺めるか、夫婦船を横目にするか、バリエーションはいろいろあった気がするが、行き着くところは同じである。自分はひとりぼっちで、相方を見つけられなかった。残念だが、それを認めて、ひとりで舟を出さなければならない。足の裏に玉砂利の粒度を感じながら、夜の海に舟を押し出す。

誰かいればどれだけ胸の高鳴るような船出だったろうと思う。でもいま、自分はひとりきりで膝に力を貯めて、悲しいけれど舟を押し出す。沖まで出るときもあるが、たいていはどこかで目覚めるとさめざめと泣いている。そのヴィジョンが現実の人生を支配していた。しかし30代も半ばを過ぎた頃にはその寂しさもすっかり磨耗して、いつしか夢にも見なくなった。自分は伴侶を得ずに墓に入るんだというイメージをすっかり受け入れた頃になって、ひょっこりと妻と出会い、いま腹の上で子供をあやしながらこれを打っている。自慢話では決してない。欲しいものが欲しいときに手に入らないタイプの人間にまつわる残念な話だ。