太ったので喪服がきつい。11時20分に来いと言われてその通り行ったら親戚含め最後の到着で、これもきつかった。お棺の母はすっかり骨と皮だけになっていて、こら死ぬわ、という感じ。ここ半年、肺炎になったり治ったりを繰り返していたのだが、3日前から何も食べなくなっていたそうで、何というか一種の野生のルールに従ったような、ニアイコール老衰みたいな自然な死に方だった。桐ヶ谷斎場で焼いたのだが、どこもかしこも大盛況な流れ作業で笑ってしまった。プレイタイムみたいな焼き場。

精進落としをして、親戚と家族全員を見送って、ぽつんとひとりになってしまった。私は人生のこういった場面でしんがりを取ることが非常に多く、いつもの感じだな、と思う。斎場のスタッフに礼を言って、元麻布の低地をすこしぶらぶらしてから車を停めてホテルに戻った。地元ではないが麻布から六本木、青山、渋谷と青春期の思い出がべったべたに張り付きまくっていて、普段ノスタルジーを抱きえない土地で暮らしているものだから、少し心持ちが怪しくなってくる。

ホテルでいったん仮眠したのち、22時から三茶のデニーズで唐木会。なんのことはない、帰国したと報せたら4人ほどこの晩に会いたいという方が手を上げてくれ、調整しようがなくなってしまい、優先順位をつけるくらいだったら調整するのはやめにしよう、とうっちゃって、夜通しデニーズにいるので勝手に来て勝手に帰ってください、という会にさせてもらった。おかげさまで20何人の心やさしいお友達が入れ替わり立ち替り寄ってくだすって、最後の客人を見送ったのは朝の8時であった。

いろいろいただいてしまってすいません、ありがとうございます。それにしても瀧ちゃんと本を作ったのは、9割5分がこのデニーズであった。その頃いちばんシフトに入っていたさとうさんが今日もいたのでなんだかこっ恥ずかしくなってしまった。どんどん変わって知らない町になっていく下北と違って三茶は新陳代謝のスピードがゆっくりなので帰ってくるにはちょうど良い。ただ下北沢は町のあちこちに知り合いがいるのだが、三軒茶屋でそういう付き合いはない。不思議なコントラストだと思う。