MB101は小テストがあって冷や汗かいた。まあ大丈夫だとは思う。いまとってる授業のなかではこのケロッグ先生の英語がいちばんわかりやすくて助かる。黒人なので黒人のアクセントなのだがそれほど強くもなく、キャミオの初期メンバーでありながらロースクールまで出た秀才なのでロジカルなところも押さえていて、気持ちいいフロウだけどブロークンではないというあたりがいい。真似しようと思って口真似してみたりするのだが、しばらくすると脳内がオーバーフロウになってしまってジーンと痺れてくるような感覚に襲われて何言ってんのかもわからなくなってしまう。CPUが小さすぎるのだろう。

英語と本格的に向き合うようになってわかってきたことはたくさんある。たとえばゴスペルラボのクリストファーとか、もちろんアメリカ人だから英語をしゃべるわけだけど、最初のうちは何言ってるかわかんない。発話はゆっくりだから単語も文章も捉えられるんだけど何言いたいのか全然わかんないの。それが何に似てるかというと、ある種のヤクザの親分とかスポーツ選手とかのインタビューを聞いてるのとすごく似ている。

彼らの話はまったくもって論旨が明瞭でなくて要領を得なくて、でも別に彼らが知性ゼロなんてことはないしむしろものすごい知性の持ち主だったりするわけだけど、ただ知性のプロトコルが違うんだよね、だから言葉は共有していてもチューニングしないと何言ってんのかわかんない。いまするっと論旨って書いたけど、論旨、つまりロジックというかロゴスってのはそのまま言葉という意味でもあって、つまりそれは印欧語族の言語構造にセットインされていたものなわけだ。

そのプロトコルが覇権をとった結果の文明社会に暮らしてるから、われわれは自然とギリシャやローマにルーツを持つ世界の捉え方を知らぬうちに叩き込まれていて、その尺度で知性を測られたり磨いたりして過ごしてきたわけだけれども、でもそれはもともとはローカルなものだし、世界にいくつもあるプロトコルのひとつに過ぎない。だからアフロアメリカンの会話運びや、叩き上げのヤクザや、修行したラマのしゃべり口なんかにはロゴスとは別種の知性に駆動されていて、一瞬よくわかんないし、だからこそ魅力と可能性があるんだなーとも思う。

話を戻してケロッグ先生は、ミュージシャンだったときに契約で自分や周囲の黒人がレコード会社のいいようにされてんのに我慢ならなくて(というかそこに商売の種を見出して)、アフロ的なプロトコルをいったん脇に置いてロースクールに通ったりすることで、白人社会にチューニングしたのかなと想像する。だから彼の英語は、同じくアジアの小国に産まれながら欧米の文明をどっぷり被ってきた僕の耳に、わかりやすさと土臭さの両方をうまい具合にバランスして聞こえるし、でもいつまでもチューニング一辺倒じゃやられっぱなしだな、とも思う。だからといって三味線つまびくのもガラじゃないし、そのへん難しいわね。