木曜日。昼に宿題をやっつけてから授業。対位法とトーナルハーモニー2。なぜか今日は両方ともリスニング&アナライズの日で、えんえん3時間クラシックを聴き続けて、いろいろ考えてしまう。ひとりだけ両方の履修かぶってる子がいて、たぶんエリザベスだからベットと呼ばれてるんだけど、ベットと「ボコ(お隣にある音大らしい音大。Boston Conservatoryの略だからBoCo)の生徒にでもなったみたいだね」という話などする。

いろいろ考えてしまう、というのは昨日の続きみたいになっちゃうけど、クラシック音楽、というか平均律も五線譜も、科学と同じというか科学の子だよなあという話。西ヨーロッパで生まれ、おなじみ銃・病原菌・鉄のあれで地上の覇者となって(われながらすごい端折りかた!)、いまやプロトコルとして唯一無二みたいな顔をして振舞っている。クラシックの演奏家とか愛好者に「クラシックって西ヨーロッパの民族音楽ですよね?」とか口走ってみると100パー顔を真っ赤にしてみるみる怒り出すんだけど、それは科学だけが知性だと思ってる人の反応とまったく同じだ。

さりとてこの話も80年代から何度もワールドミュージック問題として論われてきたし、じゅうぶんに相対化されてきたのだった。平均律や五線譜からの逸脱の方法だって十二分に検討されてきた。古くはブルーノートから、ポリリズムブレイクビーツも、間違いなく五線譜の埒外に飛び出そうとする運動であり、ローカルとグローバルの問題は音楽という局所戦ならまだいくらでもやりようがある。ぜんぜん関係ないけど科学って単語に理系イメージが強く張り付いてるのって学研のせいだと思う。理系も文系も科学ぞなね。sciences。