月曜の朝はプライベートレッスン。引き続き基礎練など。書いても詮無いことなので書いてないですが、テクニックのある演奏家だったら自殺しててもおかしくない程度には腕が痛くて弾けていません。もう一生直んないのかもしれんと考えてしまうし、そのときにどう音楽と接したらいいのかいまから考えておいても早すぎないとは思っています。留学前に高橋ピエールさんが、腱鞘炎にだけはどうか気をつけて、とおっしゃってくださったのに、ストレッチもせず課題前にギュッとやりこんで普段はサボる、というどうしようもない暮らしを送ったせいで、この体たらくだ。じごうじとくだ。

ムーブメント。今週はヨガ中心。気の毒なくらい痛々しくて友達のいない、ドラマに出てくる委員長みたいな女の子がいて、気になって見てしまう。彼女を観察していると気づくのだが、痛々しさの正体とは何かと考えていくとある種の寒々しさにあり、寒々しさはどこから来るかというと過剰な自己肯定なのだな、という気がしてくる。つまり彼女には彼女なりの、それだけの自己肯定をしなければならない理由があるのだろう。その理由がなんなのかは思い及ぶべくもないのだけれど、あれだけの自己肯定とバランスしただけの自己否定を抱えながらはしゃいでいるのかと考えると、修羅がヨガしてんなー、と思う。

いったん家に帰って対位法の宿題やっつける。きょうは自分のなかで鳴るメロディを聞かず、メカニカルに数字優先でびゃーっと書いてったら、いかにも対位法っぽいのに仕上がって、教室ではやたらほめられた。そのジャンルらしく聞こえるというのはそのジャンルのメカニズムを曲に内含することなのだなー。あとアメリカ人の生徒の、真面目にやってくるんだけど与件として提示されたルールを守ってこないっぷりがすごい。はっちゃけている。それを先生に指摘されても逆に牙を剥いたりするので、すげえなーというか、一種の国民性なのかもしれない。もしくは単に図体のでかい子供なのかもしれない。あれが事務作業したらとてもじゃないけど…と想像すると、数々の不条理な体験が思い当たり、あれが事務作業してんだなーとわかった。

晩、1セメ目のスモールアンサンブルで一緒だった仲間を招いてタコヤキパーティ。日本人にも他国の人にも好評なので、たこ焼きはすごい。奥さんがたこ焼き器買うって言い出したときは一瞬たじろいだけど、買ってよかったね。食事にクラフトの要素が入ってくるのが面白いのだと思う。ヴォルトはさらりと上手でジョーはすぐいらいら、セバスは待ちすぎて焦がしがち。たぶん大人が(おれも十分に大人だが概念上の大人が)ゴルフ大好きになってみんなを誘い始めるのも、そういう人間観察ツール的なところがあるのだと思う。