奥さんが友達とニューヨークに遊びに行っているので、暮らしがひどい。そして自分の孤独耐性が激烈に低下していることを思い知らされる。これは、まずい。たとえ離婚とかなく連れ添ったりしたところで、相手に先立たれたらどうなるんだこれ。でもどうしたら孤独耐性を取り戻せるかもわからない。あとアメリカは日本と比較にならないほど人が独りでいることを避けさせようとする国なので、基本交友下手でぼっち体質な自分にはしんどいところがある。結論としては奥さんより先に死ぬしかないな、と確信した。

きょうはパティトゥッチのフリーレッスンがあったのだが、ひさしぶりに強烈なアレルギーの発作が出て行けなかった。くやしい。なんとか立て直してヒップホップラボ。ヴィッティ先生は悪い人ではないというか超絶いい人なのだけれど、白人ならではの無意識で悪気のない白人中心史観と、あと白人的な軽薄な引き笑いにちょっとした付き合いづらさがあるんだよな…。

でも日本でよく向き合ってきたような黒人至上主義というかネルソン・ジョージ史観wもやっぱり偏っていて違うように思うし、なんかどれも偏っていてニュートラルじゃないのが当たり前だよなーという気分になったりする。そのうえで、やっぱりアメリカは白人の国で、ラティーノも黒人もマイノリティだということをものすごく噛み締めたりもする。NetflixのGet Downはそのあたりのバランス感覚がめちゃくちゃ現代的かつ上手だわー(思い出したけどGet Downにはネルソンジョージがスーパーバイザーで入ってるんだよね。バズ・ラーマンら白人の作り手と、ネルソンやグランマスターフラッシュらスーパーバイザーのバランスがうまく機能したということなのかもしれない)。