ゴスペルラボ、先週の後半からはコンテンポラリーゴスペルの話。アンドリュー・ゴーシェのイディオムはその源泉がアンソニージャクソンに9割方あるので、コンテンポラリーゴスペルのエッセンスはアンソニーによって形作られたと言ってもいい、という自説を先生がとうとうと語る。アンソニーは採譜するとスケールが少なくてアルペジオが多い。意外。そしてペンタぶりぶりなイメージがあったゴーシェもまた、採譜してみるとアルペジオが意外と多い。ふーん。

昨日も書いたけど、ゴスペルは黒人音楽の基本の苗床でありながら、同時に特殊な音づかいだなーとも思う。もっと言うとポップ領域の黒人音楽でおや?って思うプログレッションは、ゴスペルに源流を辿れることが多い。ジャズ由来のプログレッションにはない光が射す感じ、臭さ、底から力が湧いてくる感じ。その原因がどこにあるかと考えると、オルガンだなーと思う。ブルースがギターに、ビバップサキソフォンという楽器の物質的特性に牽引された同様の現象が、ゴスペルにもあるなーと思う。オルガンは含有倍音の面からピアノよりクラスターに強いし、鍵盤が軽いのでボタン的に次々押し込める。そのあたりに勘所があるような気がする。

あとはペダルか。ペダルのことはぜんぜんわからない。とにかく黒人の肉体性に教会とオルガンという装置が掛け合わされてゴスペルという音楽の特性が紡ぎ出され、それが黒人音楽の随所にエフェクトしていることはだいぶ気づけるようになってきた。ひとつだけどうしても困るのは、ゴスペルのベースプレイヤーはスラップがお好き、っていうところだ。少ないアンサンブルでバリエーションが出せること、強いリズム推進力を持っていることなど理由はいくらでも想像がつくのだが、私はどうにもどうしてもスラップの、特にルイスジョンソン方面ではなくマーカス寄りのスラップサウンドが好きになれなくて、というかほんと苦手で、死んでも出したくないと思っている。でも好きなんだよねーみんな。考えさせられてしまう。

ハーモニーはゲスト講師回。ケニーワーナーが小教室に来て15人のために演奏と講義をするという、好きな人には贅沢な時間。思考実験として、どんなバス進行でも適切な和声を選べば機能するし連結できる、という手本をやってみせてくれた。生徒ひとりずつに支離滅裂な音名を1小節ごとに言わせ、それをバスにしながらスタンダード曲のメロディを乗っけてみせる、という芸当。つまりバスとメロ音が規定されていれば適切な和声は訓練でその場で必ず引きだせる、という話なのだが、結局のところ核心部分はあんまり話してくれなかった気もする。たとえばボイシングについて、たとえば和声のパレットからどの色を使えばどういった感情表現が引き出せるのか、みたいなところ。まあでも貴重な体験だった。あとピアノの鳴らし方が半端なかった。

気分が沈んだまま日本時間では誕生日になってしまい、おめでとうメッセージを多数いただく。ありがとうございます。こんな誕生日気分の薄い誕生日もない気がする。気分が上向かず、明日のリサイタルの練習、ぜんぜん手に着かない。あとトーナルハーモニーのテストアウトが帰国日程と重なることが判明し、なんとか個別対応してもらえないか教授に頼み込んだり、新しいI-20の発行でカウンターに並ばされたり、事務作業も湧いてきて、あーうーって感じ。気がそぞろで、ポケモンすらやる気がわかず、YouTubeで釣りの動画とか掘ってしまったりする。バラマンディとかアカメとか。意味わかんなすぎ。なにやってんだろ。