休日は家の用事を済ませたり寝たり宿題したりで過ぎました。たまには学校以外のことも書いてみようかと思う。マガジンの90年代特集を読ませてもらったのだけれど、ベスト100がどうこうよりぜんぜん別のことを思い出してしまい、それはいつからランキングってこんな当たり前のことになったんだっけ、ということなのだが、90年代の固有名詞が列挙されているのを見て、90年代の記憶が呼び起こされたのだろう。

というのも、いまやみんなすっかり忘れてしまったのではないかと思うのだが、90年代なかばくらいまでは、ランキングというもの自体が下品で乱暴なものであり、メディアは矜恃があるならそれを安易に企画とすべきではない、とするムードがあったように記憶しているからである。少なくとも私が最初に企画書めいたものを書いた96、7年くらいにはまだ、先輩の業界人から「ランキングは企画のうちに入らない。何も思い付かなかったときにとっておきなさい」という指導を受けた。

それで七転八倒しながら案を絞り出した記憶がある。いつ頃から誰も疑いを抱かなくなったのだろうか。これはエビデンスのない話だけど、なんか95年あたりの都市情報誌ブームくらいから風向きが変わり、TVの情報番組の多くがランキング形式を採用したあたりで、もう誰も安易だとか言わなくなったように思う。いつの間にかランキングは企画案のファーストチョイスみたいになり、あーいま思い出したけど日経エンタとかの躍進も影響しているかもしれない。あれは97年くらいだっただろうか。

かつてランキングが軽視されたのはなぜか。まずそれが結果であり提案ではないからであろう。「いまいちばん人気のスニーカーランキング、1位はコレ」というのは現状を追認した報告であって、メディア人たるもの「今年はニット地のハイテクスニーカーが気分、中でもおすすめはコレ」と仕掛けて、それが実際に売れる、というのが力量であるというテーゼがあったように思う。いまとなってはもう、そういう「仕掛け」みたいのが昭和だなーと思えてしまうくらいに時が流れた。

もうひとつには、ランキングというのは単なる現象をリスト化したものであって、そこにコンテクストやパースペクティブが介在していない、という見地もあったように思う。たとえばCDTVなんかでよく98年9月のベスト10、みたいのを流しているけど、あれは事実の羅列でしかなくて、そこに「和製ディーヴァの発見」とか「ビーイング系の勃興と衰退」とか、作り手なりの切り口を示すのがメディアの仕事なのだ、という思い込みがあった。これもすでに「編集者の見地とか知らねーし」的な態度が十分すぎるほど行き渡ってしまったように思う。

また読む側のことを思い出すと、「売れてるものなんか買ってやるもんか」「人気の店なんて行ってやるもんか」というカウンター精神がはっきりと息づいていたように思う。いまや食べログで星が低いから行かない、だってハズレの可能性が高いから、的な消費行動がポピュラリティを得てしまって久しいので、売り文句にも「間違いない」とか「鉄板チョイス」とか「これ売れてます」とかそういうのが増えたように思う。ハズシやハズレにそれなりの価値と愉楽があった時代というのは、やはり経済的余裕と関連が強かったように感じる。

もとの話からおおいに逸れてしまったけれど、メディアが普通にランキングを掲げるようになったことで、世の中のムードがちょっと変わってしまったように私は思っている。ポピュリズム、と言ってしまっては短絡がすぎるけど、なんだろう、勝ち馬に乗りたいみたいな感覚が恥ずかしげもなく前面に押し出されることが多くなったように思う。それといまの政治状況まで結びつけてしまうのは牽強付会というものだろうけど、なんか、どっかにターニングポイントがあったように思うんだよねー。という話でした。ちなみに本題のベスト100だけど、びっくりするくらい何も感じなかった。