完オフ。ジャリの散歩以外はほとんど寝て過ごした。きのう話していてゾッとしたのだが、拙い英語でなんとか話そうとしていると、普段隠している自分の本性みたいなものが浮き彫りになってしまうことがある。

ESLで一緒だったチャオ(43歳妻子あり、これまで会った唯一の現役年上バークリー生)は、おれにバットマンというあだ名をつけてからかっていたのだが、それは俺が「But」を連発すると彼が指摘したことに端を発する。「But」を多用っていうのは日本語で言ったら「てゆうか〜」「でもさ〜」を連発する人ってことになるわけで、それはどう考えても嫌な感じだし、日本語を話している間はそうならないよう無意識のうちに気をつけているのだと思う。

チャオいわく、ゲンはいつも会話のパターンが同じ。僕が言ったことをcorrect!とかYou're right.とかI agree with you.とかいったん肯定しておいて、でも「But」って自分の意見を切り出す。認めてるように見せかけておいて認めてないし、頑固で会話のなかで自分の意見を変えることがない。いつも自分が世界のセンターにいると思ってるんでしょ。「でも」僕はゲンのそんなところも好きだけどね(Butのところでニヤッとしながら)。

これはねー、ほんとにそうなんですよ。さすがに自分でも気づいてはいるよ、自分の姑息な語り口。相手の言ってることに「そうだね」「わかる」と同意、肯定しておきながら、「ただそれは正論でしかないよね(世界は正論だけで出来てるわけじゃないだろ?)」とか「おれはまともな人間ではないからそうはしないけど」とか「自分が間違ってるのはわかってる。ただそうするしかないんだ」とか、そういう論法で持論を曲げないという。

普段はもっとオブラートに包んでやってるはずだけど、英語となるとすべてが雑になるので、すぐに見抜かれるわけだ。この歳になっていまさら自分のパーソナリティの欠陥と向き合うはめになって、しんどいが、おもしろい。これに限らず自分の弱さとか至らなさと向き合わざるをえないことばっかりで、あと何年続くかわからないこの留学生活、自分が音楽家として成長しているかどうかは正直なところ未知数だけど、タフネスだけは間違いなく増してると思う。