MP&E、ハリウッドでポストプロダクションやってる卒業生によるレクチュア。午後アンサンブル。ドラムにいらいらしていたら先生に態度悪いの見抜かれて、「ゲンは余裕ありそうだからこの曲メロディやりなさい」って無茶ぶりを食らう。この授業まじでストレスフルになってきた。なにが嫌だって、ドラムのこと見下してる自分もクソみたい実力なところ。ちなみにサーフィンも似たところがあって、初心者に毛が生えたくらいの奴がいちばん初心者につらく当たる(笑)。理由は簡単、余裕がないから。

晩。アンサンブル科のチェアマンを長年務めたハル・クルック先生の退官記念コンサート。前半は音楽家として活躍しまくってる天才的な教え子たちを呼び寄せての、超絶技巧、エクスペリメンタルなステージ。アントニオ・サンチェス、エスペランサ・スポルティング、レオ・ジェノベーゼ、リオネール・ルエケ、クリス・チーク。書いてみるとすげえな。ハル先生はTrom-o-tizerという、マイクで拾った出音にエフェクトかけてシンセ音みたいの鳴らすやつで参戦。

後半は直近の卒業生で構成されたハル先生のバンド。4ホーン3キーズにベースドラム歌姫。こっちはもっぱらポップチューンなんだけど、類を見ないレベルで疵のない玉のようなアンサンブル。教科書どおりという言葉があるけど、文字通りまさしくそれで、スコアリング、アレンジングから個々のパフォーマンスまで、授業で習うことが全部1000点満点の水準ですみずみにまで詰め込まれている。ワークシートの正解を山のように積み上げたらこうなるのかという感じ。

前半後半と通して聴いて、すごくたくさんの感想が湧いてきた。まずハル先生こそがバークリー的なるものを全身で体現した象徴的存在だということだ。すなわち前半の、世界屈指のプレイヤー養成所という側面。そして後半の、ポピュラーミュージックにまつわる理論・メソッドの総本山という側面。それがハル先生の30年間を通じて最高水準で煮詰められた時間だった。そして、これ自分でもイヤになるのだが、えーとね、つまんなかったのよ。

前半すごかったよ、すごかったけど、どうにも難しいことのカタログみたいな側面が否めず。アウトしまくりで調性薄いし、ポリリズムのかけあいでビートもロストするし、学生が超絶技巧のところでウオーって唸るというw、難解化してしまったジャズのお手本みたいだった。アントニオ・サンチェスはパーカッショナブルな歌心が飛び抜けていたし、エスペランサのボーカルにはかろうじて聴衆とステージをつなぎとめるだけのフィジカルなチャームがあった。でもまあ、うーんw。

後半に関しては、アレンジメントやパフォーマンスの完成度と同じくらいかそれを超えるくらい、ダサさがすごかった。今年が86年だったら大エンジョイだったかもしれないけど、2016年だからね…。ある意味ガラパゴスだなーと思った。ヒップホップもポストパンクもダブステップも届かない隔絶された島国で、手仕事スタジオワークを煮詰め続けていたらたどり着いた境地みたいな。

帰ってきてテレビをひねると、トゥナイトショウにROOTSが出てる(強調しておきたいのだが、この国ではクエストラブのおとぼけ愛嬌トークが毎晩聞ける!)。なんでROOTSはいつもカッコ良くてハル先生のバンドはダサいのか。あれをダサいと思ってるのは俺だけなのか。もしくは俺は音楽に何を求めているのか。音楽はおしゃれなら良くてダサいとダメなのか。人は音楽のどこに感動するのか。われわれは音楽を通じて何を買っているのか。

帰りの電車からずっと、もう脳内がグルングルンしっぱなしである。学校で習うことと、自分がなりたいこと獲得したいこと、社会的な評価と、あと自分がそれを実際にできるできないの問題と、職業としての問題と、あしたまでにやんなきゃいけない目の前の宿題と、一向に高まらないイヤトレ力と、アルペジオの練習と。どうしていいかわからなくなったので、風呂に入って湯船で寝た。エスペランサがいまやってるプロジェクトと自分の問題意識は共通している、という夢を見た(笑)。図々しい。あっちは天才だぞ!