朝に2時限。イヤトレ4、2回目はリズムリーディングおさらい。おれはついてくので精一杯。続いてリズムのヒアリング。先生がタタタで歌う4小節のリズムを五線譜に書き取る。本来おれはリズム聴き取りは得意なのだが、記譜がダメで苦労した。あるリズムを音符として記すとき、たとえば8分音符ひとつで書くのか16分音符2個をタイでつなぐのか、もしくはどの音符とどの音符の旗をつなぐのか、分割するのか、ルールがある。その法則をさっぱり知らないので全米で泣いた。

立て続けにハーモニー3、きょうはメジャーと3つのマイナーのダイアトニックコードに対応するスケールとテンションのおさらい、セカンダリドミナントとトライトーンサブスティテューションのおさらい。テキストの進みがめちゃくちゃ早い。30分でババーッと飛ぶように教科書をさらって、あと20分は曲のアナライズ。もちろん授業の内容が使われている曲が提示される。宿題が山のように出る。

こちらの教科書は、本のかたちをしているものも数割あるが、大半がルーズリーフ形式だ。3つ穴の空いた製本されてない紙の束として売られていて、それを自分でバインダーにまとめるの。うまく曜日ごとにまとめたり分割したりできるとうれしい。あとサプリメンタルマテリアルっていう、要は実習ドリルみたいのが用意されてるのが多い。これは全ページに名前欄があって、やったら提出する。

履修が固まったところではっきり思ったのだが、「進級」という概念が日本の大学を無意味化させているのだとわかった。自分が大学生の頃を思い出すと、進級のためにたとえば30単位が必要で、その30をいかに楽に埋めるかに主眼を置いて履修を決めていたように思う。ほんとに聞きたい授業なんて年にひとつかふたつで、あとは楽勝度と時間枠の効率性で決めていた。たぶん誰でもそうだったんじゃないかな。

いかにもアメリカかぶれな発言で申し訳ないのだが、こちらの履修は発想が逆である。何に似ているかというと、フィットネスクラブの回数券とか? 喩えてみると、我々には1学期あたり13枚つづりのチケットが渡され、この授業には2枚必要、この授業は1枚必要、とミシン目で切り離しながら使い途を考えていく。そんな感じ。別に使い切らなくてもいい。だがこのチケット、1枚およそ14万円である。そりゃ有効に使ったろという気にもなるよ。

2枚必要な授業でE以上の成績が取れれば2単位である。そんで96単位を超えたら卒業。おおまかに言うとこんだけ。もちろん必修制限があるので、この授業を取るにはまずこの授業を終えていないといけない、みたいなルールはたくさんあるんだけど、とにかくお金で回数券を買って、その回数券で授業を買ってく感じ。そんで卒業しなくても必要なとこは学んだからいいやって人はどんどん辞めてく。あとエリートは在学中に職が決まって辞めてく。

昨日のアンサンブルのクラス、Facebookのグループメッセージで「俺らあのままだとヤバイから自主練しようぜ」ってことになった。いいねいいね! でもいざ練習室のブッキングとなると、おれその時間は授業が……とか言い出してあーだこーだやってるうちに夜が更けた。調整さん使えばいいのに! でも英語版の調整さんが何なのかわからないので寝た。ずっとほったらかしにしていた日本の原稿を少しやった。お待たせしてる方々ごめんなさい。