防犯ブザーを持ったとたん夜道で痴漢に遭う、というジンクスがある。たちの悪いオカルトの一種だとは思うが、なんとなく「そういうことがあるのかもしれない」くらいには思わされてしまうところがないわけでもない。ひとつには、ひとは用意が整うと災いを招き入れてしまう(待ち望んでしまう、とまでは言うまい)というビターな側面、もうひとつには、この世界(なんなら神)は、その人が対応できる大きさの苦難を与えるのではないか、というややスイートな意味合いが汲み取れるかと思う。

何の話かと言うと、クルマを買って伴侶を得たとたん、父親が心不全で倒れ、連日の立川通いが始まったのだった。それはある程度覚悟もしていたことなのだが、父が入院したことで母の認知症が存外に進行していたことが露呈し(父がそれを全力でフォローして封じ込めながら暮らしていたことも)、蓋を開けてみれば母はすでに、次男である私が誰であるのかも同定できなくなっている時間帯すらある。

時間帯、と書いたが、認知症は精神の病状だなあとつくづく思わされるのは、きちがいの人と同じくその発症の濃淡はモザイク状で、私に奥さんの実家の様子を聞いたり父の病状を細部まで気にして理解しようとしたりする、いたって明瞭な時間帯もあれば、自分が何歳かもロストしていたり、それどころか玄関の内鍵が開けられなくなってしまう時間帯まであるのだった。

というわけで、いくつになってもチャラチャラと浮ついて生きていたいわ、なんて言ってたはずが、あっさり現実を突きつけられて、実家と病院と会社と、そして父母を看てもらえる介護施設の見学を高速飛ばしてグルグル巡りまくる毎日がやってきて、端的に言って中央高速もう飽きた。あと1976年式ボディのイカしたボルボを手に入れて悦に入っていたのだが、こう毎日距離を乗っていると高年式のドイツ車にしとけばよかったと思わされる瞬間もある、が、負けないぞっと。