晩、仕事をさぼって3Dプリンタのレクチャーに行った。梅田望夫さんのスペースで行われたんだけど、ちょっとひさしぶりにいい感じのギークな熱気を感じたなー。

その場でも話したけど、僕は1995年96年の、WWWが個人の手に渡り市民化していく、ものすごくエキサイティングな局面にうまく立ち会うことができて、それはそれは楽しかったし、友人も多くできて、人生はほんとに一変し、いまだにその恩恵に預かっているところもあるし、なにより寝食を忘れて没頭する日々を人生で持つことができた。実際にはネットサーフィンしてただけだけど、さておき、その熱気にもう一度出会いたいと、そう思って生きている。

あの熱気の芽を、ずっと探して生きている。そのあとケータイ文化が立ち上がったときも「来たか」と思って一瞬色めいたし、スマホが来たときもYoutubeやUstやニコ動やSNSあれこれが来たときも一瞬ピクッと反応した。けど、ちがかった。僕にとってはモノホンじゃなかった。あのWWWが市民化されていくときに、もっと言えば社会がネットに飲み込まれていくときに感じたものすごい熱量は、そこにはなかった。

とうぜんの話だけど、同じものは、もう来ない。バブルも、もう来ない(あの娘さんたちも、もういない)。それはわかってる。けど没頭は、したいのよ。あの没頭できる日々は若さだけに起因するものではなかったと思うし(だっていまの僕くらいの人たちも没頭しまくってたから)、あれこそが生きてるって感じなんだって身をもって知ってるからさ、だからあれをもう一度浴びたいと願うのは、ただのノスタルジーとは違うと思ってる。

そんで冒頭の話だけど、ここんとこ3Dプリンタ、来てるんじゃないかなーと思ってて、気にかけてたんだ。結果から言うとWWWみたいな革命的な何かでは全然なくて、割とその、前からある何かに別の角度から視座(と名称)を与えたら新しい可能性が見えてきたような気がしました、みたいな話だったんだけど、でもその場に集まってきた人の能動的な感じ、熱に浮かされてる感じ、面白いことが立ち上がる場に立ち会おうって感じ、よかったな。ああいう感覚を意識して生きていれば、がっつりでかい没頭の波がやってこなくても、わりかし楽しく生きていられるような気がした。

帰社してちょっと残務処理して、オクラチップス買って、ぶらぶらと帰った。最近また眠れていなくて、ドリエルみたいのを買ってみたけどまったく1ミリも効かなくて、ちょっとばかし、しんどい。スイッチ切るみたいに眠れる薬がほしい。しかし切れ味のよい刃物は取り扱いが難しいのが、世の常なのだろう。