昼、ものすごい豪華な昼カラ会にお呼ばれして、高田明美先生の前でパジャマのままでを歌う、という暴挙に出る。だって!自分の恋愛観を形作った曲を歌えと言われたので!正直になったまでですよ。魔女っ子生まれシティポップ育ち、伊達に軟弱な人生を送ってきたわけじゃないんです……。早々に退席して神保町でインタビュー1件、終えてスヰートポーヅで餃子ほか。

けっきょく生活リズムを立て直せないまま4月が終わってしまった。それどころか正体不明の疲れが抜けず、晩になると突然、気絶するように数時間、会社で倒れて寝てしまう。目が覚めると日にちが変わるくらいで、みんな帰ってしまったあとで、ひとり取り残された感じでうら寂しく企画書など書いては捗らないまま帰る、の繰り返し。いくない、いくないよこれ!!

30歳まで7年くらい?毎日つけた日記を止めてしまったのはたぶん就職が大きな要因を占めていて(僕は29歳ではじめての就職をした。ピンチョンもおどろくスロウラーナーっぷり)、それまで大半の時間を遊びに費やしていた毎日が仕事に塗り込められたことと、あと業務上の機密みたいのを勝手に気にして、そしたら書くことがあんまりなくなってしまったのだった。

書くというのは、ネタ出しやおしゃべりや射精と似て、すればするほど泉のように湧いてくるタイプの、もったいながって大事にとっておいても生産能力が落ち貧しくなる一方の行為で、だから日記をつけている当時の僕は、売文業で生計を立てていたことも相まって、難なくいくらでも文章を書き始め、そして書き続けることができたように記憶している。

もちろんこれは記憶なので、着想が得られず四苦八苦して泣いたり締め切りから逃げていたら編集さんが風呂まで追いかけてきた事実などは忘却されているのだがさておき、そんなわけで日記をやめてからの僕の原稿用紙埋め埋めアビリティは低下の一方をたどり、そこにまたツイッターなんてのが介入してきたもんだから、たまに仕事で長いインタビューをまとめたりすると、もうしんどくてしんどくて、また昔はそれなりに楽ちんだったもんだからなおさら、イヤんなっちゃうのだった。

できれば昔のようにつらつらと文字を連ねるフィーリングが帰ってきてくれたらいいなー、そのためには日記の再開がいいんじゃないかなーとうっすら思いながら、かといって再開するでもなく4、5年を過ごしていたのだけれど、こないだ、4月の1日にモモが持ってきていたnuの10年メモを見かけて、そしてそれが冗談みたいに売れていくのを見て触発されてしまって、重い腰を上げて、こうして何度目かのリハビリに向かっているわけです。何度目かというのは、過去に2度ほど再開に失敗しているということで、今回もあてになりませんがね。

とりあえず1ヶ月続けたものの、まだ「つらつら」の手応えは正直ほとんどないんだけど、そういうのはあまり意識しないうちに手の中にあってある日気付いてあらビックリ、みたいなのが王道だと思うので、手応えがないまま、もうしばらくのんびり続けていきます。そうそう、ここのところ「15年前からROOTSY!読んでました」という方に立て続けにお会いしたので、もし、オールドファンの方が2人でも3人でもいらっしゃいましたら、こんな雑記ですがね、また書いてくんで、よろしくです。