ネイチャージモンの7巻、すごいおもしろい。会った人には具体的に話します。

なんかいまだにおやつナタリーにまつわる発言とかが目に入ってきたりするので、終了について考えていたことを思い出した。言う場所がなかったので時間が経ってしまったのだけれど、総合誌の有効性みたいなことを考えていた。最初に結論を書くと、おやつみたいな対象を扱うのに、専門誌は向いてないのかもしれない。紙の世界に置き換えてみると、BRUTUSでおやつ特集があったら買うけど、月刊おやつは成り立たない、って感じ。

雑誌の世界では2000年前後に「これからは専門誌の時代」みたいなことが言われた。当時の言説はざっくりこうだ。情報誌はネットの速度に駆逐されるだろう、総合誌は浅い知見しか提示できないから見向きされなくなるだろう、専門誌はメディアの形状に依存せず求められ続けるだろう。答え合わせをすれば、総合誌が意外と健闘した以外はそのとおりになった。

ではなぜ総合誌が意外と残ったかといえば、それは総合誌にしかできない領域が意外と広かったからだ。音楽やゲームやサッカーみたいなメジャーなジャンル、一定数の熱量を持ったファンがいるジャンルなら、専門誌がなりたつ。それはネットに移行しようが紙で踏みとどまろうが、へましなければ一定の支持を集めて維持できる。いまあっさり書いたけど、「支持者」と「熱量」のかけ算で、ある閾値が、決まるのよ。

しかし世の中にある面白いこと興味深いことは、一定数の支持が集まる対象ばかりじゃないし、高い熱量を発するものばかりでもない。熱量は高いけど支持の少ないジャンル(コア)と、支持者は多いけど熱量の低いジャンル(ライト)というのがあって、そしてそれこそが広大なのだ(言うまでもなく支持者が少なく熱量の低いジャンルというのもあるが、ここれでは触れない)。ヘラブナはどうだろう。ぎりぎり専門誌やれるかな。イスラム建築はどうだろう、粘菌は、レガッタは、南極旅行は、どうだろう。

そこを掬い上げるのに、総合誌は有効だと思う。特に切り口がブランド化できてる総合誌は。おやつは典型的なライトジャンルだったと思う。おやつが嫌いな人なんて滅多にいないけど、毎日おやつ情報にまみれて生きていたいと願う切実なファンは、メディアを維持できるほどはいなかった。けど、やっぱ、おやつの記事読みたいよねー! そこで登場するのが、切り口をブランド化した総合誌、なんですよ。あとは言うまでもないしみなさん勝手に考えてほしいのでこの話おしまい。

ひとつ付け加えておくと、たまに、猛烈に総合誌やりたくなります。ナタリーは基本的には「専門誌の時代」の考え方の影響下にあって、だから専門サイトの集積を指向しているんだけれど、やっぱり専門誌だと扱える範囲が限定されているから零れるものが多くて、あとずっとシングルイシューなので気が滅入ったりもして、そういうとき「うわー来月は大正時代の同人誌特集で、再来月はデンタルケア最前線とか、やりてー!」となります。妄想台割くらいいつでも割るぜー。