また朝起きれなかった。週末で何とか気合い入れるしかない。

新宿で買い物してからダンシャでキバヤシ氏のインタビュー。国民的作家である矜持が、人間の精神に何らかの作用をもたらす。それはなってみないとわからないこと。

市ヶ谷で解散、クミンソウルでチャイ無料のツイートを読んで、新宿線で幡ヶ谷へ。たくや君ひさしぶり。大好きなチキンカレー食えてよかった。世間話をしてたら「ナタリーの方ですか」と呼び止められ挨拶、タクヤ臼杵くんの友人でもあるTさんだったハジメマシテ。奏で帰りで、きょうのMCなど伺う。その後また別の、奏で帰りの人とお茶。人の悪口など、言う。

スケート練習さぼってる。週末にまたリセットされてるんだろうと考えるとシュンとする。

ベースの話を少ししようと思う。もう25年も弾いているのだが、今年に入ってからフォーム改造にトライしている。野球やゴルフと同じで、フォーム改造をしたら、半年や1年はぎこちなさが取れなくなってしまうことはわかっていたので、ずっと長いこと二の足を踏んでいたのだ。でもここのところ、仕事の依頼もなくなったし、ステージに立つ頻度もめっきり減ったしで、こりゃあちょうどいいやと思って、着手した。

ベースという楽器は、弦の数は少ないし、ギターよりも簡単に音が出るし、アンサンブルで難しいパッセージを要求される機会も少ないとあって、なんとなく自己流で弾いてなんとなくこんなもんかなーと思ったまま時間が過ぎてしまうことが多い。けれど一方で、ある領域から先まで自在にしようと突っ込むと、これまた楽器の構造上(太い弦、広いフレット、少ない弦=多いポジションチェンジ、低い音=遅い振動=タッチの荒れやすさ)、高い障壁が待っている。

僕には「歌うように弾きたい」という長年の目標があって、どうにか生きてるうちにこれを達成したい。そしてそのために、自分のフォームでは壁を越えられないことはもう20年前からわかっていた。歌うように弾くというのは、比喩やたとえではなくて、ほんとに鼻歌が出てくるように楽器から音が奏でられる状態のことだ。逆に言えば、自分の鼻歌を超えた(ウッテンみたいな)フレーズは弾けなくてもいい。

思ったフレーズをハミングするのと同じように指から出てくる状態にしたい。それはつまり、リチャード・ボナのことだと思う。一介のアマチュア奏者が目標にするにはボナはあまりに高い峰だけど、しかし「なりたいモデル」が存在するのは幸せなことだ。ボナは速弾きで有名になったけれど(上の動画)、その本質は速弾きでなく歌心と指先の完全なリンケージにある(下の動画)。さらにボナの場合、出てくる歌心が飛び抜けて優しい、という個性があるのだが、それはまた、別の話で。