リンクひとつで救える命も

今回日記を再開するにあたって、1週間くらい誰にも内緒ではじめて黙ってたんだけど、それは暖気運転という意味もあるけど、それより気になって確かめたかったことがあったからだ。それは、ブログないしブロゴスフィアというのにまっさらな新規参入者としてデビュタンすると、どのくらいのビューがあり、もしくはないものなのか、ということ。

僕が以前やっていた日記は10年間だいたい1日50〜300ヒットの間を行ったり来たり、細々と続いていた。その頃、僕がブログというものを横目で見ていて思ったのは、ブログというのには、ずいぶんたくさんのアクセスを集めるための工夫がなされているようでよろしいなあ。なんかあれを使ったら、知らぬ間にいろんな見も知らぬ人が見にきてくれそうだなあという妙な期待と気持ち悪さの入り交じった感情だ(ちなみにさっき示した50なり300ヒットのほとんどが知人ないしは知人の知人だったと僕は確信している。だって知人以外が訪問する経路がほとんどなかったのだから)。

で、結果としては、数日間、誰も見に来なかったw。これが個人サイトだと「オーケー誰にも知らせてないんだから誰も見に来るわけがないだろ」と当然な気持ちでいっぱいなんだけど、なんかブログって「誰かに知らせたりしなくても人々が訪れてくる仕組みが用意されているんですよ」風に見えるから、誰も見に来ないことに少しがっかりしてしまいそうになる。なんだ、ちぇっ、努力とかせんでも集客あるようなシステムになってるはずじゃねえの? って思っちゃう。要するに甘えが介在する余地がある。

さてこれが何の話かというと、あのアキバ通り魔の男の子が、ケータイ掲示板みたいのに独白垂れ流して、しかも誰も見にきてくんない、ネットでも孤独だ、ちぇっ、みたいなことを書いていた記憶があって、俺はそれ見たとき、えーそんな、ケータイ掲示板みたいな僻地に何の広報活動もなく誰かが見にきてレスを返してくれたりするわけがないじゃん、どんだけ渉猟心旺盛かつ親切なネチズン憧憬だよ、と思ったの。おもったんだけど、なんか最近のブログなり掲示板なりのサービスって、先に述べたような「労力なしに誰かが見にきてくれる仕組みが用意されてるんです☆」的なアピールをするから、そういう甘えも失意も生んじゃうよなー。って思った。

で、それが絵に描いたモチなのか、それともほんの少しでも誰かが見にきてくれるような経路が用意されているのか確かめたかった。というのでようやく冒頭に戻ったわけだけど、結論から言うと、ひと声もあげずに君のことを世間が注目してくれるような仕組みはいくらネットにもございませんな。実はもう消したけど実験的に派手なキーワードとか入れたエントリ上げたりもしてみたんだわ。それでも誰も見にきやせんね。だからブログは何にも助けてくんないとわかって気が楽になった(5、6年遅れで)。

ところで僕はサービスを使う側であると同時に作る側でもあったりするんだけど、たとえばいまあるおとなりブログとかキーワードリンクとかみたいな、とりあえず有名人じゃなくても自然に集客を生みまっせみたいな仕組みを、もっと本気で作ってちゃんと実現しといたら、あのアキバの子も「(ほっといても)レスついた☆僕ひとりじゃないやい」って少しは救われて気分も晴れたのだろうか。人を殺めることもなかったのだろうか。

わかんないけど、もしかしたらそうかもしれない。だとしたら、ほっといても誰かが見にきてくれるようなリンクの仕組みをブログサービスの人はもっとちゃtんと開発して用意しておいてあげれば良かったのかもしれない。でもそんな過保護で甘っちょろい「誰かがいつもあなたのことを見ています」的世界が誕生したら、もっと別の地獄がそこにあるのかもしれん。確かにそうかもしれん。