待った日。テレビ業界の人というのはなにしろ流れるお金の量が大きいから、人件費に対するコスト感覚が死ぬほどルーズで、ルーズだとどういうことになるかというと、稼働させれば時給換算で何千円か何万円かを稼ぎ出す大の大人を何十人も、5時間も6時間も平気で待機させたりする。これはほんとうにすごいことだ。よく笑わず嫌い王で「いま収録12時間を超えました」とかゆって苦笑してるけど、あれはしゃれじゃなくてほんとにあのペースで現場は進んでいて、それはなんて贅沢なんだとも思うし、もったいないとも思うし、でもそういう湯水っぷりを投じないと出せないテイストというのもあるよな、とも思うし、でもやっぱり、あれだけ金を掛ければあれほどのものができるよなトーゼン、というのが最終的な落ち着きどころになる。

じゃあどこまで絞れるのか、貧乏くささを出さずにコスト意識を発揮できるのかと考えていくと、たとえばボールペンなら、1500円から上はもう機能的には変わらない。あとは趣味と美学の問題だろう。ベースなら、12、、、15万かなあ。雑誌なら編集費込みでページ6万は切りたくないところ(カメラ・デザイン別)。お茶なら、値段に品質が着いてくるのは10g600円くらいまでだろうか。そっから先は、もう善し悪しじゃなくなっちゃうし、高いからといって満足行くとはまったくもって保証できない。で翻って地上波の単位時間あたりの制作費がいくらまでなら質が伴い、またいくら以上なら趣味の問題となるのか考えたけど、なんかそういうことを考えるのを許さないくらい貴族的な空気がキー局のスタジオには流れていて、ただ言われるままに時が過ぎるのを待つのだった。