寝込んだ。そして起き上がった。まだ調子は3割ほどだが、もう底は打った。あとは上り坂だ。焦ってコケないよう、のんびりやっていくさ。

最初の3日は、食事も摂らずにただただ寝ていたのだが、ものすごい長い旅をしたような気分だ。高熱のおかげで、幻覚はなかったが幻聴は聞いた。シャララジャラ〜とエスニック質な金属音が聞こえたりして、なるほど沙羅双樹というのは名詞じゃなくて擬音語だったのか、とか思ったりした。他にもいろんな音を聞いた。今年の5月に似たようなことをしたが、あのときは傍らに人がいて、いるのに底が見えず不安だった。今回はひとりだったが、底が読めていたので安心して寝込めた。幽体離脱もした。なんだかオカルトの人みたいな話で笑っちゃうけど、したものはしたのだから、いたしかたがない。ああでもあれは幽体離脱とは言わないのかな。

要は、夢の中で、自分が、自分を看病している。ベッドのそばにいて、自分の頭を撫でたり、肩をさすってあげたりしている。自分が自分のことを労ってるシーンというのは、これは見てみないとわからないだろうが、単純な図式以上にものすごいショッキングな映像だった。タイミングによって、夢の中の主体が看病役で寝込んでいる自分を見ていることもあれば、現実どおり寝ている側で看病してくれている自分をチラチラ見たりしていることもあるが、何度も、長い時間そういうシーンが続いていたので、特に2日目はその自分看病が常態化していた。俺の手は、小さいながら厚みがあって、頭などに添えてもらってるとなかなか安心感があるもんだね。

夢ではいろいろな景色も見た。過去に見た景色もあれば、はじめて見る風景もあった。過去に会った人もいれば、はじめて会う人もいた。たくさんの曲を聞いた。はじめて聞く曲もあったが、でもどれもよく知っている曲のようだった。音楽は良いね。2日目の晩の、ひと晩つづいた嵐も良かった。テレビもネットも本もなく、つまりノー・メディア状態で、目を閉じて自分の意識とだけ3日も向き合い続けるというのはほんとうにひさしぶりで、一種のトリップであることは間違いなく、これへの出入りがコントロールできるのならドラッグなんて要らないな、とも思った。まあ、とうぶん必要ないし、そんな70年代ちっくなこといまさらやってらんないけど。

寝込んだせいで、カンちゃんとキム、それからクラちゃんとミカさん、ふたつの結婚パーティを欠席してしまった。こんなところで書くのは不義理もはなはだしいけど、おめでとうございます。あと昨日はトビオに来てもらって買い物とかジャリ散歩とか世話を焼いてもらった。ほんとに君がいてくれて助かってる。ラブ。さて、仕事が溜まっているぞ。洗濯も。掃除も。熱のせいか筋肉もごっそり減ってしまった。また、イチから立て直しだ。俺の『蔵六の奇病』には、終わりがない。何度でも、這い上がってやるさ。それが俺の人生なんだと腹に据えた。生きているかぎりそれをまっとうするだけだ。心配かけた人たち、サンキューごめん。それじゃ、ひとまずそんなとこで。