大気に何が起きたのだろう、裸で寝てたら寒くて目覚めた。テレビを付けたら20度しかないと言う。思わず長ズボンを取り出してしまうほどの冷たい雨。こんな日にも夏の海を目指してやってくる人、というのがいるもので、商店街のコンビニで、こんがり焼けたギャルと浮き輪を持たされた彼氏、を見かけて泣きそうになってしまった。天候に逆らってはいけないのがデートの掟だけど、天候なぞに左右される事なくプランを突き進みたいのも若者のデートの特権である。ビーチサンダルには冷たい雨だった。こういう日になぜか海に、プールに、出かけてしまうすべての行楽客に祈りを。待ちに待った砂浜が氷雨にけぶった子供にキャンデーを。

そして我が家にも、こんな寒い日に限って訪問客があるもので、つうか後関とオータとマルなのだが、昼過ぎに行くか行くまいか迷ってるー、という電話があって、「カレー16人前作っちゃったから来ないと全部腐らせてやる」と言ったらほんとにいらっしゃった。運良く雨は上がり、トビオも合流したところで、冷えるものの海辺へゴー。鈍色の空に濡れた砂はまるで季節外れの海岸物語でプッツン5。せっかくなので入った事ない犬カフェなぞに連れて行ってよそさまの犬と触れ合わせたりしてみる。それにしても8月の海としてはデス過ぎるダークスカイこんな鉛色の空と、海の、肌寒い丘だったので客人に申し訳なくなり、呪いの材料にしたカレーが好評だったことでいくらか救われる。

話していてびっくりしたのは後関はさすがクラッシックの人だということで、パッセージの採譜などお手の物だがコードを取るのはいちいち考えなきゃならないらしい。僕はまったく反対で、そんなに難しくないコードなら一度聞けばささっと書けるのに、サックスソロなんて一音一音確かめながら採らなければならないので苦痛極まりない。しかしこの対極は実は同じ事を言ってるのであって、クリシェを押さえておくのがいかに大事か、という話でしかない。旋律を採るのが速い人は、最初とおしまいの音を明らかにして、その間はスケールに従って自動的に埋めてしまう。コードを採るのが速い僕はケーデンスのバリエーションでやはり自動筆記的に埋めてしまう。というわけでスケールの勉強をおさらいしようと心に決めたのだけれど、ところでどちらのタイプもメソッドから外れた音があると途端に頭を抱えてしまうわけで、そこが手クセに頼ることの脆弱さということになるのだろう。