11時、アオキからの電話で目覚める。やべえ、押し入れなんて一切触ってねえじゃんよ。慌てて飛び起き、パッキングの続きに取りかかる。1時にヒヨシ(古今の息子さん)到着。続いてアオキ、2tトラックに乗ってシイナ(てっきり家業のかと思っていたのだが、あとで聞いたらジバラでレンタしたそうで大した引っ越し祝いをいただいたことになる)。ヒヨコがいちばん若いので、申し訳ないがここぞとばかりに働いてもらう。まだ腰をゆわしたことのない若い子は挙動が違うね。腰に爆弾を抱えた我々は、ちょっと重いもの持つのでも、腰をゆわさないかという無意識の不安が身のこなしに表出してしまっていて、どこかモーションが萎縮して見える。とりあえず俺シイナアオキは、ひとにあげる家具を積んで、世田谷と自由が丘をツアー。自由が丘ではどう考えても間口に入らないソファを四次元的取り回しで玄関を通過させた。汗だく。

その間にタバタとゴセッキーがやってきて、不要な本をブックオフに売りに出してくれた。山ほどあったのに1700円(笑)。どんなに大事な本だったかはもう忘れた、ことにしよう。さらにその間に、家ではヒヨシが段ボールを搬出してくれていた。無理しなくていいっつったのに、タバタたちが帰ってきたらほとんど運び出されていた、らしい。ヒヨコはすでにボロボロの体なので、もうあとは休んでいてもらうことにする。ほどなくしてオール家具、家電、布団、服、本、CD、レコードの運び出しが終了。しかしこっからが長かった。暮らし、というやつを営んでいると、いま書いたジャンルのどれからもこぼれ落ちる、しかしないと困る、こまごましたあれこれがやたらと蓄積していくもんだ。たとえば爪切り、洗剤の類、サーフボードのワックス。そいつらを片付けるのに1時間以上かかってしまった。

すべてをすっかり運び出してひととおり掃除を終えたのは、もうすでに7時近く。本来なら新居に到着して搬入しているはずの時刻。これだけみんなの手を借りたのに、それでもエラい手間だったのだから、ひとりでやってたらどうなっていたか背筋が寒くなる。みんなにお礼を言って、がんばったヒヨシには些少ながら日当を渡して、そんじゃサイナラ、お世話になりました。ブイーッと2t車で出発だ。途中、自由が丘の人に渡しそびれたものを目黒通りで窓から渡して、第三京浜、横浜新道、国1って通いなれたサーフィン行きのルートを辿る。134から江ノ島灯台が見えるとシイナもアオキもハイになり出して、海沿いのデニーズでメシ。

新居到着はなんと9時半だ。過去3回に倣って、結局また夜中引っ越しとなってしまった。新居近くの本屋に待機しててくれたトビオとお友達を呼び出して、5人がかりで搬入作業。夜も更けているので極力静かーに速やかにねー。とか思っていたら、積み込みには半日以上かかったのに、ものの30分足らずで終わってしまった。まあ旧居が4階、新居が�階、ということもあるけれど。都内に戻るシイナアオキに最敬礼をしつつ見送って、ベッドを組み立てたらトビオたちも帰り、静かな夜にひとりきり。これが普通なのだろうけれど、とにかく静かすぎて怖い。向かいのマンションは、さっきまで軒並み窓に灯がともっていたのにもう真っ暗。ああ、夜が早いってこういうことだったよなあ、と感慨に浸る間もなく、ゴキブリの洗礼を受けました。明日はバルサンだな・・・。