連載を休んでいた雑誌に復帰する、その原稿書き。一日じゅう。

ここ1ヶ月で見た映画は、ビッグフィッシュと永遠のモータウン。ビッグフィッシュは、生涯最泣き映画となってしまった。ラスト30分はもうただただだらしなく涙腺が開きっぱなしで、嗚咽to嗚咽。しかも幕が下りて客電が付いてからも涙が止まらず、劇場を出て20mくらい歩いたところでしゃがみこんでしまった。亮太さんも言及していたけどこの映画の不思議なところは、なんでこんなに泣かされるのか、心を揺さぶられまくるのかがいまいちわからないまま根こそぎもってかれてしまうことだ。物語、映像、俳優、もちろんそのすべてが良いのだけれど、けれどあそこまで泣かされるのはそれらのどの要素でもなくて、それら要素の総和でもなくて、総和プラスαの、すなわち要素には還元できない大文字の「映画そのもの」が立ち現れていた、ということなのだろう。ほんとうに良い映画。

一方、永遠のモータウンは、前にも書いたけれどハナっから冷静には見られない映画。ドキュメンタリーとしては、正直2流だと思う。もし取り扱われている題材がFunk Brothersじゃなければ寝てたかもしれないくらいで、プロットも編集も、もっといくらでも良くなる余地がある感じだ。けれど、そんなすべてをうっちゃって題材が素晴らしいから、もう打ち抜かれまくったよ。お話は簡単に言うと、モータウンのお抱えスタジオミュージシャン集団であり、そのサウンドのエッセンスを作り上げたにもかかわらず一切クレジットされることのなかったレコーディングバンド、Funk Brothersの軌跡をたどる。しかも当時のメンバーによる往年のナンバーのライブ映像付き。というもの。

妙にブーちゃんがフィーチュアされていて違和感を抱いたのだけれど(大ファンの俺が言うのも何だけどブーツィはそんな偉大じゃないよ・笑)、それはあとで考えてみると、モータウン、ないしはR&B産業の本流に召されたシンガーは選ばない、という意図があったんじゃないかと思うに至った。映画の、そして原作本のタイトルは「Standing in the Shadow of Motown」であって、しかるべき仕事をしたのに花形になれなかった者たち、という描き方をされている。だから彼らを祝福するライブで当時日向にいた者たちに歌わせる、というのは抑圧の構造を再生産してしまうことになりかねないわけで、しかしてフィーチュアリングシンガーには、ブーちゃんやらミシェル・ンデゲオチェロやらといった、ひと癖ある、というか存在自体が傍流的な人ばかりが選ばれたのだろう。

ちなみに大物ではチャカ・カーンが出ているのだけれど、チャカ・カーンって常にR&B音楽史から浮遊したすげえ変な存在だと僕は思っていたので、なんか妙に納得してしまった。いや、チャカ・カーンって立ち位置から歌い方まで、一貫してすげえフリーキーというか、文脈に回収しきれないというか、単純にヘンだって! フェイクとか宇宙人みたいな音の選び方するんだもん。

なお個人的にびっくりしたのはミシェル・ンデゲオチェロがボブ・バビットにインタビューするシーン。説明すると、ファンクブラザーズのオリジナルメンバーであり、かつそのコアエンジンだったジェイムズ・ジェマーソンのあとがまとして入ったボブ・バビットってのは、白人なんだな。スティービーのバンドで頭角を現していたので、たぶんスティービーのプッシュがあってファンクブラザーズ入りしたと思うんだけど、まあとにかく白人だったわけだ。ギターならまだ良かったんだろうけど、リズムの要であるベーシストで、しかもその前任者はグルーヴマスターかつバンドの精神的支柱、というすごい苦境から始めなきゃならなかった。これがものすごいプレッシャーだったろうということは、誰にだってたやすく想像できるだろう。

そのボブ・バビットに、ミシェル・ンデゲオチェロは(以下ぜんぶセリフはうろ覚え)「公民権運動が吹き荒れた時代にファンクブラザーズ入りしましたが、白人であることで嫌な思いをしたことはありましたか?」と質問する。ボブの答えはこうだ。「そんなこと、まったくなかったよ。みんな家族みたいに迎えてくれた。白人だろうと、黒人だろうとね。問題なのは肌の色じゃない。グルーヴできるかできないかだ」。優等生的回答を饒舌に返していたボブ・バビットなんだけど、「だから、白人だからって、嫌な思いをした、、なんてことは、、、」そこでフィルムに映る彼は突然黙り込み、肩を震わせ、そして涙をぽろぽろこぼし始める。慌てたミシェル・ンデゲオチェロがボブの肩を抱き寄せ、「ごめんなさい、酷なことを聞いたわね、ごめんなさい」となだめて、インタビューはブツ切れに終わる。

僕はもう十分に老年に達した百戦錬磨のおじちゃんミュージシャンが、あまりに無防備にカメラの前で涙をこぼしたことにもびっくりしたし、このシーンを切らなかった監督にもびっくりした。そしてなにより、黒人由来の音楽で白人がベーシストを担うってことは、スキル的にも精神的にも、それほどタフで強靭じゃなきゃ務まらなかったんだろうし、実際、認められるまではいじめられたり疎外されたりしたんだろうなあ、って思った。ボブ・バビットの涙を見せられたあとで見る、老境に達したファンク・ブラザーズのステージはさらに胸に迫るものがあり、余裕綽々でジェイムズ・ジェマーソンのフレーズをなぞるボブ・バビットが、なんだかとても気高い者にすら見えた。そんな俺の勝手な想像は捨て置いても、十分に感涙に価するサウンドだったけどね。

もうひとつ、非常に興味深かったのは、当時アメリカではスタジオメンであるファンクブラザーズのことなんて、ましてやメンバーひとりひとりの名前なんて誰も知らなかったけど、タムラ・モータウンのイギリスツアーのとき、ロンドンに降り立った彼らを迎えたのは、ジェイムズ・ジェマーソン・ファンクラブの熱狂的な歓迎だった(しかもそのときジェマーソンは同行しておらず、みんなして適当に俺がジェイムズだ!とか言ってサインをねだられた)、というエピソード。要するにアメリカとイギリスではモータウンの受容はまったく異なっていて、アメリカではチャート音楽だったのにイギリスでは音楽ファンのための音楽だったこと、そしてもうひとつ、アメリカの音楽ファンとイギリスの音楽ファンの体質の違い、なんてことまで類推できてニヤけてしまう。