僕の名前の元というのは父方の祖父、元一(もといち)から一文字いただいたもので、この唐木元一さんは帝国海軍の職業軍人だった。戦史では輸送船団、としか書かれないような小さな輸送船の船長を務めていて、幾度も本土と伊豆・小笠原を往復したのに米軍の攻撃を受けることなく生き延び、なのに昭和20年7月の横須賀空襲で停泊中に爆撃を受け、その傷がもとで翌年に死んでしまった。稼ぎ頭を失った唐木家を支えたのが長男だったうちの親父で、職を転々としながらヤミ米の時代をなんとか生き抜き、ようやく就いたまっとうな仕事、というのが、できたばっかりの海上自衛隊だった。暗号解読の部署にいたそうだが、職務の性質もあって父は当時のことを多くは語らない。

結婚を機に地方公務員に転職した父に昭和39年、待望の長男が生まれ、つまり兄貴なのだが、すくすく育った彼はバブルまっただ中の就職活動中に、パイロットになりたい、と言い出した。慶応卒とはいえ専門教育を受けていない人間がやすやすとパイロットになぞなれるわけもなく、民間は狭き門、空自はさらにエリート揃い、というわけで兄が考え出したのが、海上自衛隊の航空群であった。海自のエリートは船乗りを目指すだろう、というわけだ。なかなか達見だったようで、まんまと兄は幹部候補生学校パイロットへの切符をつかみ、P3Cの操縦士として夢を果たした。何の因果か、我が家は3代に渡る海軍一家というわけである。

そんな家系にあって、僕は異端もいいとこだった。気がついたときにはもう左翼だったからだ。10代にはサン・シモン主義にも接近したし、フラー的地球国家も夢想したし、グノーシス(宗教史上最大のサヨクだ)も学んだ。完全に時代遅れになっていたマルクスにも触れ、本音を言うが、いまだに共産主義に一定の信頼を寄せてすらいる(それについては触れない。こことか参照で)。テレビ局のアンケート電話が掛かってくれば自衛隊違憲だと言うし当然反自民だし安保にも天皇制にも疑問を呈する(ただし天皇家ファン=尊王左翼・笑)。まあ普通のサヨクだわな。つまらない話を3段落も続けたが、なのに、今日、僕は、30手前にして、ようやく自分にも父方の血が流れていると知った。そういう話だ。

加藤夫妻と451と、ダブルデートという些か諧謔的な企画で、ディズニーランドに行ってきた。リョウタさんのヨメのところに株主優待券が降ってきたためで、最初はディズニーシーを目指していたのだが、男二人がともにディズニーリゾート・バージンであることが発覚し、まずはランドを攻めよ、ということになったのだ。広大な駐車場にクルマを停め、窓がミッキーの形をしたモノレールを見上げる。告白しておくが、この時点で僕は、ノリノリだった。もー年甲斐もなくはしゃいじゃうかんね! ミッキーに抱きついて写真撮っちゃうかんね! ♪コンカラカンコン・コンカラコロコロ(エレクトリカル・パレードのテーマ)。ゲートをくぐる、その瞬間までは。

ゲートをくぐると、アーケード越しに、シンデレラ城までのパースペクティブがすこーんと抜ける。運がいい(らしい)ことに、ドナルドが目の前にいた! わらわらと人が駆け足で集まってくる。写真、写真、こっち、こっち。わけのわからぬ騒ぎの中、気がついたら、ボロボロと泣いていた。身がすくみ、涙が止めどなく溢れて止まらなくなっていた。451も加藤夫妻も最初は笑っていたのだが、じきに持て余しだした。本気で泣いていたからだ。自分でもよくわからなかったのだが、園内を451に手を引かれて歩いているうちに、どうやら自分が恐怖から泣いているらしいことがだんだん判明してきた。

なんだここは。狂ってる。みんなおかしくなってる。こわい。というところまで言語化されてきたのはもうスプラッシュ・マウンテンの行列に並んでからで、そしてその待ち時間の40分が過ぎるまで、僕は無言で身をこわばらせ、泣き続けていた。スプラッシュ・マウンテンは、正気を取り戻させてくれるのにとても効果的だった。僕は遊園地、それも落ちモノ大好きだし、これも基本路線はただのコースターだってわかったからだ。それと同時に、グロッタ内に描かれた書き割りの極彩色、人形たちのマッドな表情、イルでドラッギーな演出が際立ってきた。なんだこりゃ、ただのアシッド秘宝館じゃないか。都築響一呼んでこい! ザバーン。

でも次のアトラクションへ移動する間に、僕はまた泣き出してしまっていた。えぐえぐ泣いて座り込みそうなチビでヒゲの30男を彼女が手を引いてる姿、というのは端で見てる子供にしてみりゃトラウマものだと思うのだが、こっちだってトラウマもんだったんだよ! フォスターやカントリーが流れる、アメリカのどこにもない夢のアメリカを模した園内。係員のあのしゃべり方! 笑顔! 愛想! そして客たちの羊っぷり! 耳! 耳! ただただ怖かった。人間ってここまでおかしくなっちゃえるんだって思った。そしてこの空間に居続けたら自分も取り込まれてしまいそうな予期恐怖が覆いかぶさってきて、さらに身が縮んだ。あとで家に帰ってから気づいたんだけど、この数時間に渡る極度の硬直で、僕は首の筋を違えていた。そして、東京ディズニーランド開園20周年のパレードが始まった。

パレードはパーフェクトに管理されていて、僕はちょっとやそっと感心した。連なる山車からは別のアレンジがなされた音楽が鳴っていて、それぞれが混じらないように、かつ途切れないように園内のスピーカーと連動して音量が管理されていた。そしてテーマ部ではすべての山車がシンクロし、かつ音速の遅延も回避する、ものすごい技術だ。そしてキャスト(従業員をこう呼ぶそうだ)たちの熟練っぷり、張り付いた笑顔、客いなし。とうとう苦笑が恐怖を越えてしまった。こんな極東の島国で、手足の短い人々が、大挙してガイジンのコスプレをしている! 観衆はミッキー以下のキャラクター群に、それこそ天皇家に対するように、手を振っている。前説で仕込まれたダンスを不器用に踊っている。

すごいね。奇観だね。エデュケーションはここまで力を持つかね。と思ったところで、僕の中の何かが、ぷちんと弾けた。突然心の中を、情けない、という感情が覆いつくし、次いで、これが被占領国の60年後の姿かと、この国の大義のために死んでいった幾千万の御霊に申し訳が立たぬ、とか売国奴め、とか、自分でも聞いたことのないセリフが次々に脳内を占領した。涙がつつーと頬を濡らす。ええー、俺、大和魂国粋主義者だったん? よりによって赤尾先生リスペクト? これじゃエンコー女子高生にびっくりして「亡国」とか言い始めたお父さんと同じじゃんよ。しかし驚きながら、愛国心とも何ともつかない衝動が前頭部に打ち寄せ、僕はただ泣き震えていた。山車のてっぺんから、逆光のシルエットとなったミッキーがおどけた声で呼びかける。「みんなー! この楽しい夢を、いつまでも見続けようよ!」 よくできた悪夢だと思った。みんな写真を撮っていた。

あとは、もう泣くことはなかった。普通に遊園地なダンボやコーヒーカップはすごいエンジョイしたし、ビッグ・サンダー・マウンテンのショボさは肩すかしだったし、スターツアーズ(これは秀逸)のパーサーのしゃべりも、ラーメンズの元ネタだー、とか思いながら笑って聞き流した。さすがにプーさんのハニーハントでは原作のぶち壊されっぷりに怒りを感じたけど、リニア仕掛けとおぼしきポットの最適化されたルーティングにはただただ感心した。で、ジャンクフードをつまみ、夜のパレードを横目で見ながら、広い駐車場で5分もクルマを探して、20周年なんだ、と噛み締めながら帰ってきた。なるほど、この国のことが、僕はまた少しわかったよ。

テーマパーク、というものにまったく縁がなかったので認識していなかったのだけれど、あれはものすごい装置だね。押し黙って並んでさえいれば、あとは座っているだけですべてが動き、降り注がれる。来場者の精神を骨抜きにする、受動消費の極地だ。あそこに、日本の人口を優に越える延べ入場者数が浸って、アハハウフフと20年。僕はたまに、好感を持ったイベントのルポに「観客を楽しませる工夫が乏しくつまらないライブだった」みたいな文章を発見して死ぬほど憤慨していたんだけど(自分で踊りださずに音楽を享受しようと言うのかい?)、むべなるかな、だ。ページめくるのがかったるいから本読むのメンドイ。という層が拡大するのも当然至極。その装置としての完成度の高さに、ディズニーのファンタジー世界とガイジン憧憬がタッグを組めば、これはもう、ははは、自民圧勝、安保も安泰だわな。

帰りのクルマの中で、僕は、戦後は終わってないな、とつぶやいた。加藤くんはもうとうに呆れていて、ゲンはどうしてそんなに世界を信頼してるのかなあ、と笑っていたけど、でもほんと、僕は世界を信頼していたいんだ。あの光景を「そんなもん」だと思えずショックを受ける自分でありたい。わけのわかんない愛国心まで飛び出しちゃったけど、いまの時代、愛国心なんてもんをほんとに持とうとしたらそれはポリティカルに左翼的な営みに他ならないわけで、それも当然なのかもしれない。僕は途方もなく大きな、げっそりするようなこの国の現状を、1日かけて見てきた。ユーロディズニーは倒産寸前だと聞くが、トーキョー・ディズニー・ランドはとうぶん安泰のご様子だ。何か、僕に、いい兆しを。ひとかけらでもいいから。