やんごとなき事情によって1日まるまる自由になってしまい、こりゃあいいやと多摩川へ出かける。こういうときのために多摩川はある。まずは川っ縁にクルマを乗り上げて、窓が開かないからドアをちょこっとだけ開けて、昼寝だ。ぬくぬく、ぽかぽか、いい感じ。ひと寝入りしてから小腹が空いたのに気づいたのだが、ここでニコタマなんかへ出てフレンチの1500円のランチとかカフェ飯みたいので済ませたんじゃ男がすたるよ。つうかだいたいこんな正月っぱらから開いてねえ。ここはひとつ、ファミレスでリラクシンだ。郊外で、休日で、風采の上がらない格好をして、ファミレスでピザを食う。これである(康夫ちゃん風)。すっかり肩の力が抜けて、いよいよ河原へと歩みを進める準備が整ったといえよう。

お待ちかねのジャリを連れて河川敷に乗り込む。枯れ芝を踏む。枯れ草を踏む。小枝の折れる音。すれ違う人はみななぜかカーキ色でハーフ丈の、襟がコーデュロイでできたコートを着ていて、そしてそんなコートを着た人は家族連れじゃなくてひとりで歩いていて、家族連れはグラウンドの中でタコ揚げたりして遊んでいるので擦れ違わない。あの人たちは、12月の何日に仕事を納めて、そしてそれから今日まで何をしていたんだろうか。それとも何もしていなかったのだろうか。大掃除? 残務整理? それとも。そして明日から仕事始めまで何をして過ごすんだろうか。河川敷はいつでも完全にその役目をまっとうして、あのフィールドコートのおじさんや僕やすべての人をもてなしてくれる。

近くにきたからいい機会かと、戸手4丁目、通称ドテシタを訪れてみることにする。草川さんをして「関東で最も風情が良い」といわしめた朝鮮系集落。なにしろロケーションが良い。多摩川の、川崎サイドの、堤外地。つまり土手の外に集落があるのだ。水が出たらもちろん即床上浸水だし、実際川岸の家屋は足場が鉄骨で組まれ、船宿のようである。スーパー堤防建設のため立ち退きは進んでおり、すでに11番地は更地になっている。一方で10・12番地の用地接収はさまざまな問題(立退料の問題より、要するに不法占拠者が少なくなく、法的な強制力を発揮できないようだ)から遅れていて、しかし一方で彼らもいつかは立ち退かされることを感知しており家屋修繕にお金をかけないため、朝鮮系集落の多い川崎でも群を抜いて青トタン度の高い町並みとなっている。

コインパーキングにクルマを放り込んで、高層マンションを脇目に、土手沿いを歩いていく。下流側の10番地には、川に対し直角に建てられた、間にコンクリート打ちの廊下を挟んだ数本の長屋がある。そして更地となった11番地を挟んで、バラック作りの多い、路地の込み入った12番地。再生紙工場を越えて河川敷に下り、河原沿いの細道を戻る。途中、犬を連れたおばあさんに追いついてしまい、ジャリがじゃれついてしまって「すいません、どうも」と挨拶をする。「いいえー、どうもー」と答えたおばあさんの後ろを着いて路地へ入る。トタンは青いが、町は圧倒的に夕焼け色である。素晴らしい。美しい。僕は和田マネの言葉を思い出していた。オーディションでソニンを見初めたとき、彼は「あ、昭和がここにいる」と思ったという。そして落選したソニンを彼はスカウトした。まったくもって同感である。

たとえば2ちゃんの人権板とかじゃ引きこもりたちが部落や民族差別を、匿名をいいことにまき散らしまくっている。戸手もよく貧民窟とか晒し上げられていて、そういうレイシストたちと僕の探訪と、どこが違うんだ、一緒じゃないかと批難されると僕は有効な答えを持たない。険しい峰や深い湖を愛でるように青トタンを観光に行くのは、それを特別視しているという意味で差別的との誹りを免れ得ない。しかしどうか許してほしい。いまこの国を覆いつくそうとしているのは、すぐ脇に建った高層マンションのような、デスでのっぺらぼうな、匂いもなければ、表情もないがらくたなのだ。ちゃちな建材で一見こぎれいに作られていて、コンサバぶった顔をしつつ、その実は飽きれるほど浅はかな。僕はそれを心から嫌悪しながら一方でその恩恵を享受していて(コンビニ・マクド・GAP)、身が引き裂かれている。戸手の風景には、その裂け目を癒す力があった。懐かしアニメ番組や昭和歌謡リバイバルの何百倍も、あった。

集落の中には焼き肉屋があって、今度訪れたときはぜひ寄ってみたい。また、この小さいエリアにキリスト教会と右翼の街宣カーと学会のポスターと総連の集会所が集積していることは、イデオロギーの実効性について痛いほど考えさせられる。もうひとつ付け加えるなら、対岸の東京側の岸辺には、青いビニールシートで作られたホームレスたちの住居が一定の間隔をあけて整然と並んでおり、それは戸籍外者も集落に受け入れてきたこちら岸と違って、とても寂しい風景だった。いずれ戸手も、スーパー堤防によってのっぺらぼうなコンクリート護岸に変わるだろう。日本の故郷は、皮肉にもこの国が差別してきた人々の中にかろうじて残っていた。そして、それすら今や自らの手で潰してしまおうとしている。嘆かわしいこと甚だしい。とでも言えばいいのか。