実家へ、郊外へ。小金井で451を降ろし、ひとり懐かしい道を走る。しかし真っ直ぐにはたどり着けない。町は僕が出たあとにできたモノレールによって分断され、憎き中央分離帯によって大きな遠回りを余儀なくされた。実家のブロックに回り込むと、見覚えのあるクルマが2台、路肩に停まっている。ドアミラーに手を掛けながら立ち話をしている二人、孝夫とヒデだ。僕もその場にクルマを停め、まったく偶然の邂逅なのにさもそれが当然であるような振りをして、よう、あけおめさん。とか言う。エンジンを切ると、辺りが驚くほど静かなのに気付き、実家だなあ、と思う。

オマエ姉ちゃんどうしてる? みたいな話をしていると遠くからエンジンの音がして、クルマの音がひとかたまりのノイズではなく1台1台で分離して聞こえることに驚いたのだが、もっと驚いたのはそのクルマに乗ってきたのが靖だったことだ。地元のもっとも近しい4バカが、期せずして揃ってしまった。さすがにこれには、ちょっとしたもんだろ、と苦笑いせずにはいられなかった。いま着いたばかりなのは僕だけで、3人ともこれから、それぞれのカミさんの実家へ向かうところだと言う。携帯なんか掛けなくたって、4本の線が交わることが普通にありえて、それが要するに、僕にとっての地元だ。擦れ違いざまの4台のクルマをその場に停めてダベってられるのも、決して富ヶ谷じゃありえない風景で、そういえば僕は実家のそばで一方通行の標識を見たことがない。

去年実家に戻ったときは、コタツで寝てしまいそうになったときに巨大な不安を感じ、それはつまり、いまここで寝てしまったら一生起きられないのではないか、という安心恐怖であったわけだけど、今年は大晦日の明け方からクルマを走らせっぱなしだったせいもあって、着いたとたん、躊躇なく5時間も寝こけてしまった。目覚めておせちをつまみ、一年のお礼とよろしくお願いしますを言っておいとまし、帰りの調布あたりのツタヤで、小沢健二の「刹那」を買った。大いに後ろ向きで、センチメンタルで、ノスタルジックで、それでも僕は躊躇なく流れ星ビバップを口ずさんだ。CDが終わる前に家に着いてしまって、仕方なく山手通りを代官山まで流した。正月の代官山は人っ子ひとりいないゴーストタウンで、それは同じく人っ子ひとりいない地元の道より人っ子ひとりいないことに慣れてなさげで、心細く見えた。

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