よそさまのサイトを見て回る、と昨日書いたが、この半月、よく読んだのはいわゆる個人サイトより企業・団体サイトが大半を占めた。95年末から日本の個人サイト周辺をうろちょろしてきて、僕はそのクオリティにすごく信頼を寄せていたしいるのだけれど、それでもやはり、最近ではなんらかの限界を感じていることを禁じ得ない。

面白く読んだのは、たとえばこことか。誌上討論と臨床クイズ、というのが毎号実に面白い。両者とも提示された症例に対し十余人の医師が診断を下すのだが、医師会同志のプライドもあるのかなかなかしゃっちょこばった回答が読み応えあり、一方で「私の所に見えなければ患者さんも簡単に治ったことでしょう」なんて気安い諧謔もありつつ、もちろん専門外である僕にも、複数回答を見ることによって得られるある種の輪郭と収束が楽しめるのである。バックナンバー全部読んじった。

ヤマイの話がエンジョイできるのはいい加減肉体の方にもガタがきはじめているせいで、端的に言って頭髪のみならずヒゲにまで白いものが混じり始めたのだこの夏を過ぎた頃から。組み上げられた自律した機械が摩耗やクラックによってポンコツになっていくイメージがすぐに浮かぶ。しかし人体は機械ではないからクラックが勝手に塞がったりガソリンを受け付けず軽油でしか動かなくなったり、もしくはいきなりすべてが運動をやめるために動きはじめるようなことがいつでも起きえる。そう思えばこの白いヒゲも生えてきた以上すぐに抜いてしまっては可哀想か、という気にすらなってくるのだが。老いを悲しむべきものとしか捉えられないと老年すべてが悲しみに染まってしまうからどんなアクロバティックな考え方でも良いから楽しめ、とは僕が実家にいた最後の年によく、母を諭したセリフであった。先日昭島で仕事があって一瞬実家に立ち寄ったら、食卓に老人がふたり腰掛けているのでびっくりして帰ってきたのだった。

一日部屋で仕事。隣のビルの解体作業が耳やかましい。晩、カツヤのリハに出る。送ってもらったベンツの後部座席で、青山通りのイルミネーションをぼんやり眺める。車内では小山田がかかっていたけど僕の頭の中に流れていたのは佐野元春で(笑)、カフェ・ボヘミアに入っている聖なる夜に口笛吹いてというロックステディもどきだった。僕がこの曲を知ったのは、というか知ってはいたが意識するようになったのには妙なことがあって、僕が高1のときだったか高2だったか、部屋でJ-waveを流していたらナビゲーターが「では次の曲は立川市のカラキゲンさんからのリクエスト、佐野元春で聖なる夜に口笛吹いて」と言い出し、頭が真っ白になったのであった。もちろんそんなリクエストをしたことはないし、そもそも僕は電リクにせよプレゼントにせよ、放送局に電話などしたことがないのだから、鳩が豆鉄砲とはこのことだ。イタズラだとすれば僕が聞いてなければ意味がないから何らかの予告があるだろうし、だとすれば単なる嫌がらせなのか、しかし当時、佐野元春というのがどの程度恥ずかしく嫌がらせになる存在だったのか、そしてなぜこの曲だったのか。もしくは電話口で突然気恥ずかしくなって僕の名前を口走ったのか、ならば誰がサノモトを好きだったのか。いまとなってはわからないことしか残っていない。

今日のgoogle:ジョンソン郡戦争、ギランバレー、グレイソン・ペリー