昼前には起きて、451と自由が丘へ。麻利子さんの「みつのあはれ展」へ。安定路線で安心。ハンケチをお願いして自由が丘の町を歩く。ほとんど行ったことがなかったマリ・クレール通り(マリ・クレール通り? 世の中は凄いことになっておるのだなあ)のほうに足を伸ばすと、連休に予定された女神祭りの前夜祭、ということで露店が軒を連ね、ワインや軽食を手にした人々がベンチに腰掛けている。仮設の舞台では越路先生リスペクトなシャンソンを歌っている。そんな催しがあるとは知らなかったため、ボーナスみたいなデート気分。自由が丘は2本の線路で十字に区切られた町だから、ポテトを片手にたっぷり散策すると、4つのエリアを順に潰すかっこうとなり、自然と出発点だった私の部屋、に戻ってしまう。ふたたび麻利子展を覗くと、知った顔がふたり。ハルコと海月ちゃんだ。楽しいなあ。

駅へ戻って食事でも、となるわけだが、渋谷へ戻るか自由が丘で食べるか、と話していたときにちょいとひらめき。自由が丘きっての食い意地先生がいるじゃないですか。電話しておすすめの店を聞く。鶏料理を、とのリクエストに返ってきたリコメンドは「とよ田」。言われるがままに向かうと、メニューは鶏の揚げ物3種のみ。手羽、腿、砂肝。衣を付けない完全な素揚げで、味も塩のみ。いわゆるガチンコ系? と思いながら、きれいなきつね色に揚がった手羽にむしゃぶりつくと、これが凄い技術の結晶だった。骨まで食べてね、と隣のおっさんに言われた小骨はクリスピー、されど身は柔らかいままで、どういう温度管理でどのくらいの時間揚げればああ仕上がるのかまったく想像が付かない。ただの二度揚げじゃああはならない。鶏には小振りなひな鶏を選んでいて、筋切りの捌きっぷり(食べながらずっと見ていたんだけど)も実に見事だった。

形の残った鶏を手で骨まで食べる、という趣向には、殺したものを我々は食べているんだ、という現実と直に向き合わされるワイルド趣味が確かにあって、実際そういう野蛮さを売りものにした店も少なくない。一方では死との距離を最大限に図ったチキンナゲットというものもあって、子供はコーンスナックと同種のものだと思って頬張っている。別に鶏に限ったことでなく、たとえばマグロの死体の断片を刺身と呼ばせるところに調理という行為のひとつ大事な側面があって、それは要するに死との距離をデザインする行為だ。ところでこの店は、先述したとおりのガチンコスタイルであるにも関わらず、凄いテクネーによってその野趣を洗練に転化させていて、客は鶏の死と対峙しながら、その対峙のおかげでより一層その旨味を享受できる、という仕組みが成り立っている。こういう差し出し方をエレガントというのではなかろうか。

帰り、代官山で電車の扉が閉まる寸前に、ユトでも寄ろうかと思いついて駈け降りる。ユトレヒツの顔を見たところで渋谷に戻って、レンタカーを借りに。451を乗せて都内をドライブだ。アイスが食べたいというので西麻布のホブソンズで買い込み、どうにも気力が弱った感のある六本木を横目に溜池方面へ。社会科見学よろしく官公庁街から皇居をぐるっと回って良いヴァイブをもらい(尊皇左翼・笑)、千鳥が淵から内堀通り紀尾井町のブランド坂を上がって赤坂を見下ろす夜景。迎賓館から御所を 掠めて権田原、絵画館を遠くに外苑周回から青年館、霞が岳都営、お化けトンネル。富ヶ谷に戻った頃には雨も本降りで、近所のコインパーキングに放り込んで2時間ほどの仮眠を取る。夜明け前にはタバタを迎えに行って、湘南だ。