おとつい見た夢が、脳裏にぺっとり貼り付いて離れない。別に怖い夢に驚く歳でもないし、自殺する夢も、あと突発的な事故で死ぬ夢も、まあお得意様ではあった。ただ自分ではない誰かの利得のために、逃れえない状況できりきりと、そして最期までしっかり殺される夢は覚えている範囲では初めてで、それはあまりにありがちな、あまりにありふれた死のイメージそのものだった。目覚めたときいちばん最初に思ったのは、ああできるなら事故で死にたいなあ、でも事故で死ぬというのは何かを誤魔化されたまま生を終えることと近い、と言っては乱暴だから、死を自覚して死ぬのと予期されぬ死とでは何か質的な違いがあるのかなあ、というもので、同時に死は確実なものだなあ、というこれまたありふれた感慨だった。

でもって俺は単純なもんだから、もうそのあとは簡単で、生姜焼きを作ろうと思って豚を買いに行けばこの豚は殺されたんだなあ、殺されるときはあんな状況だったのだなあ、口惜しかったかもしれないし、悔しさなんて心の働きはなくても毛穴が悔しさで粒立っただろうなあ、と思って気づけば泣いていたり、夕焼けを見てはこの夕焼けは過去に殺された人は見ることができないけれど、夕焼け、というものを見たことがない人はいないわけで、そうなればこの夕焼けは「夕焼け」という殺された人の世界にも続いている或るシーンであることも大したものだし、同時にこの世のできごとの一回性というのも大したものだなあ、とかそんな、初めて死、という概念をイメージしてメメントモリとかミスチルみたいな(いやミスチルがそんなこと言ってるのか知らないけど)無常観でいっぱいになった中学生みたいな気持ちで塗り込められてしまった。

ギャラは資本主義の亡霊たちがほうぼうから襲ってきて一日で消えた。あとなんか書いておくことあったんだよなー、えーと、あーそうだ、ちょっと古い話になるけど『カンバセーション・ピース』、おしまいの、主人公がローズの引退で熱を出して寝込んでからが凄かった。前に、僕は保坂が反小説家的小説家なのが魅力だったのに今回は小説家みたいでそれはどうなのか、みたいなことを書いたと思うのだけれど、このくだりを読んでしまうと、小説家として素晴らしい仕事をしたんだから素晴らしいじゃないか、という気になってしまった。えーとあと書いておくことはー、ミムラの眉が我修院に似ていすぎ、太眉復権とかそういうたくらみ? っていうのもそうなんだが、まずミムラって芸名が凄いよね。タバサって風俗嬢がいるらしい、と聞いたときくらいどうしたものかと思った。あとなんだろう、あー! 思い出した! あのね、俺のヤフオクハッキングしたの誰? ウォッチリストがぜんぶ消されてて、コーチのバッグばっかりになってたんだけど! 一瞬451がおねだりでもしたのかと思ったんだけどそんなはずもなくて(コーチはねえだろう)、コーチってのがどういうギャグだかわかんねえし、よく考えてみたら俺パスワードってたいがいのサービスで一緒だからすげえ戦慄しちゃってんだけど。