世界柔道を見ている。畳を使ったマット合成のCG、ポイントが入るたびにSE、ハイテンポのカット割り、クレーンショット、なによりカラー柔道着。いや、まあ何も言うまい。それで思い出したんだけど、ちょっと前、とある雑誌にて歌舞伎役者の中村某が曰わくことには、「(若い子にとって歌舞伎は)退屈で、難解で、眠くなる。それを刺激的で、解りやすくて、ドキドキするものに変えていかなければ」。抜かせ! アホ。低脳。いや嘘です。退屈で難解で眠くなるものなんてまだまだ他にいっぱいあるので僕はなんとか大丈夫。君は君でがんばってください。

目覚めて期待たっぷりに波浪モデルの実況図を見ると、ようやく台風のうねりが遙か南海上から届き始めた様子で、すかさず予定していた仕事をぜんぶ明日に回して海へ向かう。しかし、着いてみるとこれがどうにも思わしくない。それなりに波は上がっているものの、いわゆる台風スウェル!って感じじゃまったくなくて、それでもこの夏まったく波に恵まれなかった湘南にとっては十分な低気圧からのギフトなのだから嬉しくないわけはまったくないわけだが。

そう最近、よく波の夢を見る。波乗りの夢じゃなくて波の夢。そしてそこでは波は擬人化というかある種の動物(ガンバかなんか)もしくは回遊魚みたいな姿をしていて海を渡っていて、それはたとえばこの湘南に届いている波が南西諸島あたりから脈々と伝わってきているというスケール感を理解しはじめていることの兆候だと思う。いいかお風呂で水面フーって吹くと波が立つけどそのフーって口は3日前の宮古島あたりだったりするわけだから、なんだかそれはネスカフェのCMで使われている谷川俊太郎の詩「朝のリレー」の僕らは経度から経度を〜みたいな規模の話で、それどころか冬のタヒチの波は、アリューシャン列島から届くと聞く。これらジオメトリカルなイメージを取り扱おうとすると、多少のときめきとともに、常になんらかの生き物が地表なり海面なりを駆け走っていくようなシーンが浮かぶわけだが、それはスケール感との連動によって導かれた一種のイメージのクリシェなわけで、だからといってそれがつまらないものかというとそんなことはまったくない。(どうだ日記休むとこんな酷いことになるんだぞ>主に日高さん。文章の書き方、というか文章を書くに当たっての思考の運び方、というのには大別して何種類かあるわけだけど、この一銭にもならない、従ってあまり時間を割いてはならない日記というのを書くにあたっては常に、思考の順番どおり書き写すように、それ以上の並べ替えや推敲の類をしないようにしてきた。つまりは垂れ流しないしは書きっ走りなわけだが、同時に垂れ流しでも文章になるような思考の運び方、というのもあるわけで、それが過去何年かに渡って日記を付けてきた技術、のようなものだ。そしてそれはここ数ヶ月のお休みでいともたやすく失われてしまったわけで(なぜなら大人になってから修得したものだから。僕はたとえば仕事では走る筆のままに書いたことはない。それだとどうにも不安になってしまうのだ。そう書けたらどんなに良いかと毎日お釈迦様に祈っているのに。文殊菩薩に祈ればいいのか?)、ご覧のように垂れ流してみたらほんとに垂れ流しでしかない文章を書く羽目に陥っているヒデエ)。

話を海に戻そう。トラブルフルな3時間半だった。原因はみっつある。ひとつには今年は太平洋高気圧の脆弱さから日本海に抜けてしまう台風が多く、湘南は量的にも質的にも波に恵まれなかったため、みんなどうにも欲求不満ぎみなこと。それに加えこの日は、前述したように台風14号の波が期待されていたのに肩すかしだったこと。そして、アクセスと設備の良さから湘南でもっとも(それは日本でもっとも、に限りなく近い)混雑するビーチである鵠沼に、幸か不幸かここ半年ほど、底砂の移動によって近辺ではもっとも良い波が立っているため、さらに人が集中してしまっていること。さてこれらが呼び込むのはどんな状況でしょう。右から左から怒号飛び交う鵠沼海岸よりお伝えしました。さすがに水上で殴り合うのはどうかと思うよ水球じゃないんだから。個人的にはちょっとスキルアップ。加重と加速の相関性をヒザで理解しつつある。<84回目>銅像前、弱オン、腹胸、ややワイド、3時間半。

帰宅して洗濯、掃除。仮眠を取っていたら安部くんが来宅。ブレーカーダウンで初期設定に戻ってしまったAirStationの再設定に来てくれたのだ。メルコユーザーのために概説しておくと、AirStationはデフォルトのチャンネルが14chに設定されているため、1〜13chまでしか喋れないAirMacからだと、デフォルト状態では設定どころか通信すらできないのだ。そこでWindowsノートから再設定してもらう酷い手間をおかけしてしまった。実はあとでこういうtipsがあることが判明し、クロスケーブル一本で用は足りたのだが。それにしても夏場のスーツネクタイは辛そうだ。昨日いっしょに滑ったまま置きっぱなしになっていたスケボーを抱えながら、山手通りを歩き去る安部くんの後ろ姿には、何か戦後日本のあらゆる混乱が凝縮されているようで少し感動してしまった。夜、草川さんと地震の話。これについては明日に回そう。