■歪めよ、そして記録せよ

モー。方面の人にとってはののがよくやるからお馴染みだろうけど、我が国のギャル界隈には「ヘン顔」という用語があって、うら若き娘さんたちが表情筋を歪め醜い顔面を記録する、という特徴的なムーブメントになっている。この娘さんたちのヘン顔ってドメスティックなものなのかな。と気になってざっくり世界を眺めてみたのだけれど、少なくとも寄り目のt.A.T.uは発見できなかった。歯をむき出したプロマイドはあったけど、それはパンキッシュ方面のアピールであってヘン顔とは位相が異なる。とりあえずサンプル採取してみようか【1・2・3・4】。んー、現場はもっと強烈なんだけどな。

さてこのヘン顔、Cawaii(※)およびeggに代表されたコギャル文化を母に、主にプリクラやスナップショットを生産の現場として伝播したわけだけど、僕はこれを、従来とは形態を異にしたフェミニズムの発露、もしくはガーリィ文化の遅れてきた、よりポップな双子だと理解している。言っとくけどこのヘン顔ってやつ、ちょっとお調子者のガキんちょがおどけたツラで写真に収まるのとはぜんぜん次元が違うよ。だってこれ、明らかに道化よりグロテスクやバッド・バッドテイスト(死語)を強く指向していて、言ってみりゃ北陽虻川のマスクを被る行為だもの。

さてリファレンスにするため前もって、広義のガーリィとは何かを短絡的に述べてしまえば、それは女の子が女の子の考えた可愛さを獲得する、という運動であり、言い換えれば男の子の目にはどう映るか、という視座を排除した価値体系の構築だ(各方面から叱られそう)。ただガーリィが先鋭的だったのは、それがもとより男の子に支持されにくい素質を抱えた女の子たちによって、彼女らが胸を張って生きていくための拠り所として発明された点であって、たとえばガーリィ文脈でしばしば優位に取り上げられる鼻ぺちゃやそばかすや貧乳は、決してヤンマガのグラビアには登場しない(同時に巨乳にMilk Fedは似合わない、という闘争性をも有している。完全に叱られるな俺)。

一方で本題であるヘン顔のことを思い出すと、どうもヘン顔でプリクラを撮りまくってる娘さんたちは、プリクラという響きからも想像できるようにもっと大衆的で、男の子受けもばっちり普通に気にしていて、それほど呪いを抱えてるとも思えない。いわば一般女子であるわけだ。それがなぜ、こぞって寄り目の鍛錬にはげみ、鼻腔を拡げ、たらこ唇を模倣しなければならないのか。すでにヘン顔はガーリィの双子だって言ってしまったけど、すなわちこのこのグロテスクさが意味するものは、いわゆる判で押した、商品としての可愛さに対する異議申し立てなんじゃないだろうかと、俺は思った。

それこそうら若い婦女子のみなさんは、瞬間瞬間においてセクシャルな市場から商品として値踏みされまくる、たいへんタフな日々を送ってらっしゃるわけだ。そしてそのものさしは常に買う側、すなわち男性側からのグラビア的な要求に準拠している。ガーリィや乙女といった自立的なムーブメントに与するわけでもなく、またヲタとして市場からの逃走を図るでもないメジャーな層の娘さんたちは、日々この値踏みプレッシャーの中を、自分の順位を確認したり上位を目指すべく研鑽したりしつつ生きてかなくちゃならない。これはかなりキツいんだと思う。そりゃキツいだろうさ。僕だって昔お店に出ていたことがあるから、少しはわかる。

その審判から、つかの間にせよ解放される手法として、彼女らは破壊的な表情に走ることを覚えたんじゃないかな、というのが僕の今日の寝言だ。つまり男性市場からの要望に唾を吐くようなブス顔を記録することで、彼女らは自らの容姿が商品化されることを拒み、一人の人間であることを暗にアピールしているんじゃないかと。思い出してほしい。なぜ娘。においてののばかりがヘン顔をするのか。そしてそれに続くのがよっすぃであり、同時に石川・藤本は決して参加しないという事実。ヘン顔に宿る反商品化へのアティチュードを参照すれば、その理由が簡単に読み解けるはずである。

また、それが異性には見せてはならない性質のものであるため、ヘン顔は女の子同士の結束を強めるツールとして活用されている。より醜い表情を見せた方が奨励され、それによってさらに秘匿性を増すガールズ・ルールの確立は、女の子の結社化を補強し、さらに男性市場からの解放を促進させるだろう。ガーリィが音楽やファッションといったカルチュラルな土台を必要としたのに対し、ヘン顔は、よりイージーな参加条件の下、女の子の主体性を獲得することができるのである。あなたはただ、ブサイクな顔をするだけでいい。

しかも、それが本来的にブサイクを指向するものであるがゆえに、ヘン顔はもともとブサイクに生まれてしまった女の子の救済装置としても機能する。素人なりのグラビアクオリティに達しなかった女の子が、自らの肖像を悲しみなく受容するためには、グラビア的価値観を転覆させるしかない。ヘン顔は、ブスにおいては自らを価値あるものとして直視するための逆説的メルクマールとして、美人においてはすましてるとか気取ってるといった同性からの嫉妬込みの批判を回避するためのリスクヘッジとして、あらゆる層の女の子に有用な側面を備えていて、そこらへんに普及した理由がありそうだ。悪いけど今日はここらで寝かせてもらう。長過ぎた(苦笑)。

※余談だがこの誌名がHawaiiのもじりであり、陳腐化したfineに対するカウンターとして誕生したこと、そしてハワイアン・ロコテイストの先駆であるfineは多少沈みつつも安定を保ち、Cawaiiは急落を余儀なくされたことはもっと議論されてよい。(03.9.9)