■タッくん

デミも言っていたが、どうしてもタッくんのことを考えてしまう。あれやこれやどうしても読んでしまう。いろいろな角度からいろいろな考察が取り出せる事件だが、僕がいちばん見過ごすことができないのは、彼の発言のそこここに、90年代末のユースカルチュアに蔓延したある種の達観に似たムードが見え隠れする点だ。それは一言で言ってしまえば「これでよかったんや」という一見無茶苦茶な結論付けであり、でも宅間守は本気で「これでよかったんや」って思ってるんだろうな、と僕は思っている。

そうだな、例えば旅行から帰ったときに、我々は別に何と較べるわけでもなく、やっぱり家がいちばんだねえ、なんて言ったりする。もしくは親について考えたとき、他の親の子供になって比較したこともないくせに、自分の親のことをいちばん好きだと感じたり、この親の子に生まれて良かった、とか思ったりする。ではその評価はまやかしかというとそんなことはなくて、ただ親とか生家とか、比較検討の機会があらかじめ奪われていることがらに対しては、絶対性を有した評価を下しがちだ。もちろん反対に食事とか洋服とか彼氏とか、交換可能で比較が容易なことがらに対しては、評価がどんどん相対的に育っていく。

この個人内での乖離は、時代のムードとも相似形だ。すげえ乱暴に書いちまえば、80年代(※)には商品も情報も海外からどんどん飛び込んできて、おこづかいもあって就職は楽ちんだし、比較検討の機会に恵まれてきたわけだ。同時に、それにありつけなかった人は「なんでこんなことになっちゃったんだろう」と苦悩できた。言い換えれば、金やモノや知性を持つのが絶対的に善いことで、我々はどのくらい持てているか、という相対性のなかに放り込まれていたわけだ。

それが90年代には可処分所得も減り、求人倍率も落ち込み、情報だけは増えていく中で選択の自由度はどんどん奪われていく。どんだけ上を追い求めてもキリないし、疲弊するだけ。ならばこの現状を愛そう、という達観ムードは、ある種のポストモダニズムの援護射撃もあって、確実に時代に浸透していった(大幅に端折ってゴメン)。言い換えれば絶対的な善は崩壊し、我々はその場その場に絶対性を付与して、親を愛するようなやりかたで自分の境遇を愛した。というか愛さざるをえなかった。

この「もっと上を/なんでこんなことに」と「どんだけやっても一緒/これでよかったのさ」のふたつのマインドは、もちろんどちらが正当性を有しているわけでもない。我々は両者の間を揺られながら(そして両者は互いにいがみあいながら)生きていくわけだけど、話をタッくんに戻すと、彼もまた、その身のうちに、その両者を強烈に有していたんじゃないかと思う。具体的に言えば、彼は猛烈に金持ちになりたかっただろうし、同時に金持ちになったところで救われやしないことも知っていたと思う。そして、親や妻に絶対的に愛された瞬間の記憶を持ちつつ、相対的な社会においては常に愛されてこなかった。その振れ幅は人よりデカかったかもしれないが、しかし相対性と絶対性の狭間で引き裂かれていたのは我々と変わらない。

ただ、80年代と90年代の両方を通過してきた彼の犯罪が、「どんだけやっても一緒/これでよかったのさ」の時代のおしまいに起きたことは、彼自身の経済的な行き詰まりなんかを差し引いても意味があるだろう。つまり、子供8人殺しといて「これでよかったんや」って結論を導き出せちゃうところに、90年代的思考の限界がある。90年代に青春の多くを過ごした僕や同世代のみんなにとっては、自分の身に「どんだけやっても一緒/これでよかったのさ」マインドばかりがクセとして染みついていないかどうか、検証するのには良い機会だろう。途中論旨ぼやけたが、こんなところでやめとくわ。
※僕が80年代と言うときは常に85年から93年を、90年代と言うときは94年から02年を指す。この区切りについてもいつか述べたい。(03.9.3)