一進一退、こともなし。昼は日がなベッドで過ごし、暮れた頃からもそもそ起きて、軽食、掃除、洗濯など家事をこなし、あとはまた寝ている。はははこれじゃ国文で賢治でも専攻してるうちに厭世感から畳にキノコ生やして鍋に入れたことを詩にして自分で泣いちゃう心の弱い人みたいじゃんかヤバー。きょうは一日じゅうスケボーのことばかり考えていて、36インチ前後の大ぶりなデッキを各社ピックアップしてはえんえん見比べていた(ふつうのスケボーは31.75とか32インチ)。ひとつわかったことは、サイズや性能がぴったりきたところでグラフィティの方向性が大問題となることで、たとえば完全に要求を満たすからと言ってこんなんやこんな絵柄を身の回りに置いておくのは難しい(敢えて、とか狙って、とかはもうしないよ。飽きたんだそういうの。どうでもいいことに構ってる時間がない)。

まあデッキならまだ色塗っちゃったりすればなんとでもなるけど、同じ悩みはそもそもサーフィンまわりにおいてもけっこう重大な問題となっていて、例えば俺がいま使っているボードのメーカーは「ジャスティス」って言うんだけど、ジャスティスはないよねー(苦笑)。ドゥ・アズ・インフィニティ並みの問題ワードだ(笑)。すごく定評もある良いボードでこいつのおかげでずいぶん上達した俺だけど、でもやっぱりジャスティス、はないと思ってるし、グラフィックのセンスもハーレーの集会みたいでちょっと困っちゃう感じだ。それはウェットスーツにおいても顕著で、もういちいち書かないけど、完全にそっち方面の感覚を殺して実用に供しているのが正直なところだよ。やっぱりこういうテイストのグラフィックをカッチョいい! と感じられるようにならないと上手くなれないのかなあ、とかめちゃくちゃなことまで考えちゃう。

それはたとえば、音的にはもうちょっと荒っぽいのが好きなくせに絵柄的にぴったりくるせいでコモンとかルーツばっか買っちゃう(エレクトリック・サーカスのジャケはまたちょっと趣味違ったけど)ヒップホップの地平とか、座り心地はやっぱり素晴らしいのにいまいち部屋に連れて帰る気になれないアーロンチェアのこととか、もっと言えばテーマ的に良さそうなあ読みたいなあと思っていても生理的に絵面を受け付けられないいくつかのマンガのこととか、同様に文体がダメで読めない小説のこととか、その逆にもうダルダルにつまんなくなっちゃってるのに絵面が好きなだけで買っちゃってる何人かの漫画家さんのことまで思い出すわけだ。それは別に、なんつうの? うわべと内実というか、形式と機能というか、テーマと表層というか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、単純にあらゆる見かけと内実は大なり小おなり違ってしまうわけで、つまりはどうでもいいということだ。