昨日がんばりすぎた(笑)。一日寝転けている。

半年くらい前に書こうと思ったまま忘れていた話なのだが、ここ1年くらいで、都内の信号機が着々と電球からLEDに置き換えられている。明度も彩度も高いから視認性の面でも消費電力の面でも耐用年数の面でも優れているのだから当然だろうが、どうにもやはり、俺はあれに馴染めない。違和感を感じる。それはクルマのストップランプに関しても同様で、最近の日産車を筆頭に、もはやLEDは多数派になろうとしていて、うーんやっぱり気持ち悪い。一部メーカーではわざわざLEDを電灯のように光らせるためのレンズまで開発されているので、LEDをキモチワルく感じているのは俺だけではないようだ。

そんでそれはなぜかと言えば表層的には簡単で、電球が反射板を用いて面を照らすのに対して、LEDは単体ではたいした発光量がないから常に複眼的に用いられるんだよね。そんで人間はどうやらこの、複眼的ということを自らの肉体から知ることができない。当然ながら複眼を備えていないからだ。したがって複眼視を思わせるビジュアル(たとえばウォーホルのグリッドプリント)を認識すると、ある種の不自然さと居心地の悪さを感じるし、その異質さは複眼の持ち主である昆虫に対する畏れ(生命としての仕組みがあまりに異なるものへの恐怖)と近い。この話最終的に蓮コラの話で結ぶつもりだったが論旨を考えているだけで気持ち悪くなってきたのでもう止める(笑)。