タモ起床。ぶらりと坂下へ(バッチリ千里脚、ではなく、渋谷の繁華街のこと)。本屋やら服屋のウィンドウやらを流すが、新しいスニーカー、古くからあるシャツ、遠くからやってきたレコード、フレッシュな果物――この土地で、おかねを使わずに過ごす、というのがいかに難しいことだか痛感させられる。その後原宿まで歩いて、今月末にはパレフランスごとなくなってしまうというオーバカナルでお茶。たぶんこれが最後となるだろう。まだ学生の頃、はじめてサッカーゲームに手を出したときはどぎまぎしたものだ。そして気取って飲むディアボロ・マント。あのときまだ、原宿やひいては東京は俺にとってキラキラしていたと思う。その後いっせいにスタッフが変わってしまってサービスの質は、そして俺の中のスペシャル感は急激に下落していったわけだが、それでもデ・プレがなくなり、フルールもなくなった昨今、原宿エリアでもっとも信頼が置ける、笑っちゃう表現だけどこう言うしかない本格カフェ、だったことは間違いない。世の中は必要なものからなくなっていく。

市ヶ谷へ移動して、打ち合わせ2本。その後千倉へ戻るつもりだったのだが、仕事のスケジュールが予想外にタイトだったため、1日遅らせることにする。運良くちょっと時間ができた。渋谷で待ち合わせて、デートなど決めこむことにする。シカゴを見たよ。ムーラン・ルージュ以降、のミュージカル映画の姿を見たかったんだけど、あらゆる意味であまりにコンサバティブで、不満の残る出来だった。このフラストレーションはボブ・フォッシーの意図するところかもしれない。あと彼の演出は、ステージのあちらこちらに誰も認識しきれないほど有象無象のアクロバティックな運動を散りばめ、結果それが眩惑的というか、ある種のケイオス、モザイク、夜の街に直結する猥雑さを醸し出す手法なのだが、その多焦点的な散逸ぶりがむしろ混乱に映ってしまう、フィルム&レンズの宿命みたいな特性をコントロールし切れていないように感じた(近年稀に見る大悪文になっちゃった・笑)。操り人形のシークエンスは良かったな。