そんな、深夜にセグウェイ乗ったりボディ&ソウル行こうか行くまいか迷ったりしつつも(ジョー・クラウゼルがスピンしてる姿を想像するだけでも十分パワーになった)、親父のオペはやってくるもんだ。小田急に乗って1時間ちょい、南林間、という駅からタクシー。おふくろは朝からネガティブ・イベント・ハイに填っており、駆けつけた見舞客の相手で忙しい。とはいってもたいてい彼女の姉妹で、何かにかこつけて顔を見に来ては世間話に花を咲かせるいつもの風景だ。12時から開始の予定、のはずなのだが、前の手術が延びていて、なかなか準備さえ始まらない。親父はなにごとも定時定時、というよりは15分前に身支度しているタイプの人なので、徐々にジリジリ不安が拡大してくる。兄貴もまた5分前の人なので(親父は元、兄は現・海軍士官なのです。ちなみに戦争で死んだ祖父も・笑)、イライラが募って二十日鼠のように同じ場所を何度も歩いている。

そうなると立場的にはもう俺は、ワガママだけど非常時にはのんびり構えてマイペースで妙に落ち着き払っている人なつっこい次男、という役回りしかなく、語調を伸ばし気味に、窓の外の緑とか見ながら、まあ焦ってもしょうがないでしょ、いつかは始まるんだから、ねえ。とかなんとか言いつつも、病室を覆った緊張感は拭いがたく、看護婦が検温やら血圧やらに来るたび詫びられるのだが、詫びられたところでこちらとしては待つ以外ない。昨晩から食事を、朝からは水も絶たれているうえに焦燥感の募った親父は、どうしても口蓋が乾くらしく、幾度となく水を含ませたガーゼで唇を湿らせている。お前はどうしてそうのんびり構えてられるのか、だから時間にルーズなんだ、とか俺は30前にハゲ始めたたがお前たちは今のところ大丈夫そうだ、とか、こんな病室で独りきりだったらイヤだろうそのためだけにでも結婚する価値があるわかったか、とか、いつでもできるような会話をポツポツとする。

2時前に、前の手術を終えた南淵医師が様子を見に来る。これから昼食、休憩、準備をするわけか。こりゃあ押すぞ、と思うが、言っても詮無いことなのでまあ言わない。母と兄はぶつくさ言っているが(笑)。3時、3時半、しかして4時になってようやく、憔悴しきった親父の腕に麻酔だか筋弛緩剤だかが打たれ、準備が始まった。ストレッチャーに移されて、はいじゃあ行きますよー。看護婦のひとりがまるでタンスでも動かすかのように、重そうな手術室の扉を閉めた。あとは待つだけ。予定では4時間。兄は折り悪く明後日にカミさんの手術を控えており、カミさんの実家である福岡へと羽田に向かった。眠いがさして寝られるわけもなく、待合室にいたゲンくん(5歳)とその妹の相手をしたり、それでもそんなの10分かそこらで、状態が急変すればすぐに知らせる、との説明もあり、あとはただただ時刻が過ぎるのを待つ。病院だから煙草もケータイも手に取れない。

新緑を透かしていた陽もとっぷり暮れ、ナイター中継も阪神7回で風船が飛んだ8時半過ぎ、廊下に執刀を終えた南淵医師が姿を現す。いろいろと苦労しましたがとりあえずは無事終わりました。あとは縫合だけです、との言葉。この人も重労働だなあ。パーラメントファンカデリックですら4時間を超えるライブは少ない。9時に縫合が終わり、ほどなくICUに呼び出される。切り刻まれちゃって、消毒液とか飛び散りまくっちゃって、息はしているが一瞬検死体かと見まがうような、それでも生きてる親父のボディ。医師が入ってきて、手術の経過を説明する。3本設けたバイパスのうち、2本は確実に機能しているが、残りの1本は縫合部位が予想以上に狭窄だったり脚から移植した血管自体も細かったりで、万全とは言い難い。それでも手術の目的の大半は果たされたし、何もしなければじき心不全に至っていたわけですから、それとは天地の差でしょう、とのこと。

3本目が十全ではない原因は? と聞くと、先の説明をしたあと、まあ僕の腕が悪いのがいちばんの原因でしょう、と笑った。心臓外科医が肉親の手術を頼みに来るほどの腕を持った男の、要するに自分以上の結果を出せる医者はいないだろうからこれが現代日本で最善の処置なのです、という含みを持った、カリスマ的なフレーズだ。自信満々やねー。しかし昼から10時間、待つだけ待って、ただ待った。さすがに憔悴したよ。背中はバキバキ、くたくただ。待ってる間はずっと、病院の廊下を、入院着を着た、もう胸に疵のある親父が、あの点滴ワゴンをゴロゴロいわせて歩いてくる術後の姿をイメージしていた。それが俺の祈り方だから。そして、たぶんそうなるだろう。イメージはかならず具現化される。そのフォースのことを、祈りと呼ぶんだ。メールをくれたみんな、あとちょびっとでも気にしてくれて時間を割いてくれたみんなに心からのサンクスを言います。もう夜の3時だけど、緊張がほぐれず眠れない。