受かると仮免が発行される、という修了検定の日。7時に目覚め、海をチェック。オンショア吹いて海面は少し乱れはじめているけど、この程度なら入れそうだ。入所時に渡されて以来開いていなかった教則本を、ペラペラとめくってみる。おとついのミキワメのとき、左の巻き込み確認が甘いです、と指摘されたのだが、それもそのはず、そんなもん習っていないのだ(笑)。第1段階の内容は最初の5、6時間で終えたことにされてしまい、あとはえんえん第2段階の内容をやらされていたため、教習の抜け落ちが他にもありはしまいかと一応おさらいする。時間になって集合、大型3人を含む7人。俺は普通車の2番目だ。30分ほどパンチ教官(粕谷さん、といってすごく良くしてくれる)から、コース、採点制度などについて説明を聞く。

徒歩で歩いてコース確認。そのまま1番手の人に同乗して修検スタートだ。1番手の人は失効してしまったというやはり中年の方で、まあ何ら問題なし。おかげでいいシミュレーションになった。続いて俺の番なのだが、同乗した3番手の人は、えーとなんていうんだろう、グレー迷彩の軍パンにアビレックスのM-51、つまりはモッズコートなんだけど彼の中ではミリタリーパーカであろう上着を羽織って中はボタンダウンシャツ、銀縁眼鏡に真ん中分け色白太め無口で伏せ目、というわかりやすいキモヲタの人だった。サバゲー趣味なのか。いずれにせよ、こんな田舎でヲタの道を走るのはいろいろ苦労も多かろうと思って少し気の毒になった。そんなことを思いつつテストは難なく終了。あとは待合室で発表を待つ。

前に女性の教官から事前情報を吹き込まれていたのだけれど、隣に座った坊主頭のいかつい方がサーファーということで話しかける。何でも八王子出身で、サーフィンのために、2年前ここに移住してきたんだって。仕事の単価を上げるために大型を取りに来たとか。いっこ上だった。「立川だったら真木蔵人知ってんでしょ?」ああ、真木くん、5中。「君は?」俺は4中なんすけど。「あそう、隣だ。俺今あいつの作った板使ってんだよね」ブレドレン? 渋い(笑)。みたいな会話。千倉にいる間に一緒に入ろう、俺クルマあるから千倉以外のポイントも案内するよ、と携帯番号を交換した頃には、アナウンスが入って電光掲示板が点く。なんだー、全員合格じゃん、そういう難易度のテストだったんだ。あとは事務所で視力検査をしておしまーい。緊張して損したわ。


宿舎に戻って、さあ帰京前最後のサーフィンだ。海面はオンショアで荒れてはいるものの、それなりにサイズもあって、なによりひさしぶりの快晴。気分がいい。お昼ちょうどというタイミングのせいか人が少ないので、かなり右手のリーフ寄りに入る。明日から数日できなくなるぞー、という気概もあってか、苦手だったチョッピー気味の波でもそこそこ乗れてうれしい。というか、先日ダンパーで右股関節を痛めた苦手意識のほうがよっぽど存在感でかく、それに較べればチョッピーくらいマシマシ、と楽に思えた。大マイナスが小マイナスを無化する効果やね。夕暮れ用の体力温存を気にせず、ヘトヘトになるまで乗る。ターンは確度を増しつつあるが、そのあとのマニューバーにつなげるにはまだまだ。<54回目>千倉、オンショア、チョッピー、腰ムネ、2時間半。


シャワー室に入るとき、ボードのテール部をちょっとぶつけて欠いてしまった。リペア剤を買いに行きがてら、港の中をちょっくら散歩。戻ってリペアをしながら事務所に問い合わせてみると、館山駅までの送迎バスがちょうど高速バスのダイヤと噛み合いそうだ。荷物をまとめ、宿舎のカギを受け取り、しばし千倉にさようなら。送迎バスは決められたルートを、誰も乗ってきやしないのにえんえん回る。田園風景を堪能。館山駅で高速バスに。ひとりすげえかわいい女の子がいたのだが声を掛けられるような意気地は持ち合わせず。内房の海は、外房とうって変わって波ひとつなく凪いでいる。途中、海ほたるで休憩したのだが、時刻を過ぎても帰ってこない乗客がいて、ただでさえ富津あたりから渋滞で遅れ気味だったので運転手がヤキモキする。5分ほど過ぎたとき、意を決してマイクを持ち、えー定時を過ぎたので出発いたします、プシュウ。うわー! 置いてっちゃうんだ。置いてっちゃうんだ。車内が微かにざわめいた。


東京駅には40分遅れで着。途中首都高に入ったくらいに目覚めたんだけど、千倉の町との圧倒的な交通量、そのマナーの差異に圧倒され、うわーこれじゃ首都高乗るのに別のライセンス必要だー、と思った。そして中央線、山手線、渋谷。うじゃー。トーキョーシリーはクレイジーねー。若い子いっぱい、それなりに着飾った子いっぱい、人いっぱい。ノンに寄って呼吸を整えてから、いざ宇田川町を歩いて帰宅。こんなドラッギーな街に住んでたっけ俺(笑)。別の星に来たみたいだわ酔っぱらった。数ヶ月の海外旅行で帰ってきたときより、たった10日余りの千倉生活のほうがウラシマンになっちゃうのはなぜだろう。ほんとクラックラ来た。松濤を抜けて神山に入ったくらいになってようやく落ち着きを取り戻し、ああ帰ってきたんだーって思うのだがやはりその感覚も、海外旅行の帰宅時より日本のカントリーサイド暮らしの方が、世界把握に与える変容力が大きい。不思議だ。