休日2日目。昨晩は深夜に「きみはペット」再放送を見たあと(そうかオナペットのペットだったのかすごいあざとい演出だったよ)、お風呂に入ったまま寝てしまった。うわあ。最後に森さんの家にお風呂を借りに行ったのが去年の11月だから、実に半年ぶりの浴槽睡眠となる。脚伸ばして入れるお風呂、シヤワセ〜。さすがにマックス24人を詰め込むだけあってユーティリティ・スペースはいずれも広く取ってあり、少なくとも2人で使っている分にはじゅうぶん快適である。もちろん本来はお風呂は18〜21時、消灯は23時、と厳密に各スペースの使用時間が決められているのだが、住み込みの管理人もいないため(管理人室があるのでハイシーズンは常駐するのかもしれない)、飲酒と同じく誰が咎めるでもなく、非常に緩やかに管理されている状態だ。つうか野放し。まあみんな大人だしね。

5時頃目覚めて風呂から上がり、なにはともあれベランダから海をチェック。うわ最悪だ、ここへ来てはじめて、オンショア吹いちゃった。しかも強い。海面はザワザワと荒れており、ブレイクはまとまりがなく乗れそうにない。これは今日はダメかもしれない。風のせいか明け方の空気は急に冷え込んでいて、娯楽室にいまでもコタツが出ている理由が少しわかった気がした。ベッドに移り、昼まで寝よう。と思いきや、9時ごろ物音で目が覚めた。掃除のばあちゃんだ。ゴミ箱や灰皿といっしょに、はだけていた俺の布団まで掛けてくれて、しかもごていねいに掛けたあと、ポンポン、って軽く2度叩いていった(笑)。前に訛りや方言は無いが発語が異なる、と書いたが、彼女ら老年どうしの会話は完全に訛っているし方言もバリバリだ。ぎりぎりで字幕要らないかな、くらい。寝ぼけ眼で少し語尾を収集する。


けっきょくタモリ起床。すぐにまたも海を見に行くが、誰も入っていないし、そういう波。うーん、今日はサーフィンお休みだな。しゃあない、散歩でも行きますか。えーとここ千倉の町は、簡単に説明すると2本のメインストリートが、ちょうど染色体のX体みたいに、交点近くがふにゃっとひしゃげた縦長のXの字を描いていて、それが海沿いに横たわっている構造だ。海を右手に置いて、左上のXの腕が駅・町役場方面。こっちは官庁街だから商店は少ない。右上の腕は瀬戸浜通り。海岸沿いだからコンビニや企業の保養所なんかがあって、この真ん中よりちょっと交点寄りに教習所はある。交点はさすがに栄えていて、オドヤという2つの別館を従えた大型スーパー。右下の腕はふたたび海沿いに出て、これが漁港をかすめる。釣り具屋や、名産だという鯨を食べさせる食堂、サーフショップなど。そして左下の腕は、旧市街。ずーっと寂れた商店が並び、温泉宿も何軒か。銀行や郵便局など、商業色の強い施設もこちらにある。


今日はそのうち、まだ行ったことのなかった左上の腕に沿って歩いてみることにしよう。背後に小山を背負った集落には鯉のぼりがいくつも揚がっている。やはりどこへ行っても目に付くのは花、花、花。デイジー、ガーベラ、西洋桔梗にパンジースイートピー。庭木は灌木が大半を占め、それにソテツや椰子など南国めいた樹木が少し混じる。途中、ほとんどうち捨てられた野菜市場を見かけた。左上と右上の腕の間は完全な田園地帯となっており、ビニールハウスはほとんど見かけず、露地でなんでも育つようだ。氾濫する緑の光線。海岸線から素直に緩斜面で立ち上がっているため、町のどこにいても海が見える。昼食の時間になったので宿舎へ戻ると、今日のメニューはカレイの唐揚げ甘酢あんかけ、若竹の煮染め、こんにゃくのピリ辛煮、イカかにかまのマヨネーズ和え。おお、これまで出た食事の中ではベストだろう。しかし野菜がほとんど欠落しているので、食後に野菜生活100。こんな強迫的に野菜ジュースを飲まなければならない食事で、教官たちはよく健康を維持しているなあ、と感心する(が、維持してないのかもしれない)。


デジカメのメモリカードが一杯になったので吸い出してから、パソコン教室へ。先生をされているKさんは釣りをなさるそうで、となればやはり海の様子はいつも気にしているから、このあたりの風と波の傾向を教えてくれる。しばらくすると子供の部の生徒さんがやってきて、おいとますることに。ヤフオクのウォッチリストがとうとう空っぽになってしまった。まあ来月まで、仕方あるまい。帰り、歩幅でパソ教室から宿舎までの距離を測ってみる。だいたい65mくらい。間に遮蔽物はないから、壁は都合2枚だ。うーん、届くかなあ。しつこく海を見に行くが、やはり、輪を掛けて状況は芳しくない。まあ週に1日くらい休養を取ったほうがいいかな、と思うことにした。近所の洋品店に寄って健康スリッパを買う。宿舎のスリッパはビニールのいわゆる学校スリッパで蒸れるし、ちょっと衛生的に疑問だったので。さておき1足65円ってどういうことだろう。他にもトレーナー398円とか。


さて夕食は、っと、牛丼だ(笑)。食堂のオヤジがいたため、献立を魚中心にしてもらうよう申し入れる。聞けば、魚を出しても若い子はたいてい残してしまうので作り甲斐がなく、おのずと子供っぽいメニューになってしまったとのこと。魚を出せるのならそれはうれしい、東京に帰ったら不味く思えてしまうくらいのを用意するから期待していて、とのお言葉。ちなみにあの立派な千倉の漁港では、もう魚はほとんど揚がらないそうである。以前は46隻もの漁船が属していたのだが、近海サバの水揚げが減り、サンマの漁場は温暖化の影響か北へ移ってしまい、イワシの単価は昨今と違って安いままだったので、みな廃業するか釣り船に鞍替えしていったのだという。遠洋船は? と聞くと、遠洋漁業が伸び、寄港できる港を探していた頃はまだ、近海漁業が盛んだったので、ほとんど受け入れなかったのだという。しかし一部、千倉の漁船も三陸沖まで繰り出していたので、この町には何人か気仙沼あたりの嫁さんがいるとか。そんな世間話。