寝坊気味で海。もう暑いくらい。そして行楽日和=渋滞。湘南は寂しい小波。それでも上手い人はぐんぐん乗っていくんだから呆気にとられる。延々スタンディングの練習。ある程度サイズのある波よりスピードが出ないぶん難しい。とにかく速く、ワン・アクションで、スタンスを広く、ヒザを落として立つ、そして視線を足下ではなく進行方向に向けることを意識。<39回目>辻堂東、弱オン、ヒザ、2時間半。

ぜいたくをできる身分ではないのはじゅうじゅう承知しているのだが、受け取った新茶が、予想どおり素晴らしい。予想どおり、というのが少しやっかいなところで、昨年は予想を超えて打ちのめされたので、それに較べればインパクトは若干劣るのだが、それは俺の知見が広まったことが原因でお茶のクオリティは昨年に勝るくらいなのだ。知らないよろこびと悲しみ、知るよろこびと悲しみ、という話。いずれにせよ、この本などでうかがい知ることのできるもろもろのもろもろに巻き込まれず、今年も獅峰の龍井が飲めるのはありがたいことである。でもまあ、それも年に一度のお楽しみでじゅうぶんだし、これ以上の茶葉、たとえば蓮芯を飲みたい気にもならない。毎日おしっこが透明になるまで飲むことのほうが、自分にとっては大事なのである。

晩に呼び出されてスピン兄さん、ふじもとさん、すぎのさん、ふくださん、ことねちゃんやリナちゃんなんかの集会(笑)に出かける。話はターンA、クリーミィ・マミ、あと新書館など。終わってから恵比寿に寄り、目黒川、西郷山公園と桜を見て歩く。昨年も書いたけど、桜を愛でるなら、俺は真下から見上げるのがもっとも好きだ。空を、ないしは夜空を背景に入りくんだ枝振りと無数の等価な細部が遠近感を倒錯させ、常に軽い目眩をもたらす。それが脊髄反射的に、春めいた狂おしい気持ちを掻き立てるのだ。体調が少し細くなっているときなら、膝が落ちかねないほどの眩惑にかられ、その場にへたりこんでしまうかもしれない。顔には薄笑いを浮かべているだろう。少し寒いがその足で、アオキに呼ばれていたwombに寄ってみる。あれー大沢伸一ってそんな人気なんだーね、ゲストの入り口まで並ばされているのでバカバカしくなって帰ってきた。社交より大事なものはいくらでもある。帰宅したらほどなくタバタが迎えに来て、さあ海だ。いつ寝るの俺。