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取材1本。終了後、冷たい雨の中をジャリを抱いて歩く。道を歩いている人はひとりもなく、芯まで冷え、芯から心細く、とてもいい気分だ。この気分ぐらいだ、体感として知っている、日常に宿るディライトなんて。いつか君にもうまく伝えられるだろうか。甘美さに身を投げ出したくなるようなこの寂しさのことを。
昨晩、終わったビデオを巻き戻そうとテレビに切り替えると、不意にモー娘。がまさにこれから歌わんとしているところに出くわし、出会い頭に苦笑する。6期メンはまだいないんだね。渋谷の街頭スピーカーから垂れ流されていたので耳にはしていたが、政治主導とは言え、ひょっこりひょうたん島リメイクを受けたこと自体は評価したい。世に言うチャプチャプ・メソッド(泣くのは嫌だ、笑っちゃお)をいまの娘たち、殊に矢口に歌わせるというのは、もう悪趣味の領域にじゅうぶんすぎるほど足を踏み入れているのだろうが。それなりに達者な、そして華のないステージだった。巻き戻しが終わり、∀の続きを見る。結局足かけ3日で一気に見てしまった∀だが話の畳まれ方が釈然とせず、ことねちゃんに電話をかけたところ釈然とさせないのがトミノの誠実さである、と半ば叱られる。しかし、やはり、うーん。ふくださんとか召喚して半日くらい話してみたい。
以下感想つらつらと。個人的な焦点としては、ウガンダとかギンガナムみたいな話の通じない、しかも腕力の行使さえしてればハッピーな人とどうつきあうのか、というところを見たかった。都合良く触手が伸びてギンガナムは繭に閉じこめられちゃうけど、あの人何千年かあとに発掘されて、そんで発掘者の肉体乗っ取ったりしてまたウワーハッハッハ月光蝶である! とかって未来でもやるわけだよ、ぜったい。そのときに、絶好調じゃねえだろオイ、って言える何かを獲得してないと、また同じだと思っちゃったんだ。畑を耕し、パンを焼き、子を育て、という美徳を押し出すならその一方で機械人形たちも冬眠システムも温存されている以上、あらゆるフォースとつき合う際のヒントを見せてほしかった。もしくは見出せる俺でありたかった。「人間は闘争しますけどなんとかなります」という回答は美しいけど、いま聞きたいことじゃない。ってこれ、1999年の放映なんだよな。
グエンたんは俺すごい可哀相なのね。月の文明に負けたくない! って素直に吐露するし、産業革命まで口走る。甘っちょろいけど地球の存続のことも考えてる。なのにみんなに袖にされちゃうんだ。人望ないよねえ。逆にディアナさまは人望ありすぎて怖い。冬眠システムから離れて普通に生き死にしたい、っつってほんとに死を迎えに 丸太小屋に引っ込む、というのは、いくらキエルが代役勤められるって状況があるにせよ、赦されすぎじゃないかと思う。ロランは割とキャーって感じの子だからウェルカムなんだろうけど、ソシエたんとしてはねえ。あれを受け入れちゃうソシエたんもいい子すぎて怖い。いずれにせよ正直∀はあと何度か見てみないとよくわからないことが多すぎて、自分の短絡を思い知るばかりなのだ。いつか簡潔に∀の感想を述べられるようになりたい。