明け方、原稿1本。仮眠。昼過ぎに散歩へ出て、夕方にもう1本。これで4月は食うに困らないだろ。夕方の方は穏やかに、とにかく盛り上げないで穏やかに書く、という普段とは逆のことをこころがけるはずだったのだが、うまくいったのかははなはだ心許ない。つらつらっと書いているとどうしても盛り上げてしまうので、そのたびにチッとか言いながら直す。これはどんなことでもそうだが、盛り上げるにはドミナント効果の使い方さえ覚えればそう難しいものじゃない。たとえばスネアロール、目新しい造語や体言止め、映画なら驚きのプロットやゴォッってSE、恋愛だったら小さな意地悪。要するに不安と安心にまつわる供給回路を確保してあげればいいわけだ。しかし、これはいずれインフレを起こすのがおきまりだし、そもそもそういう小規模カタルシスの連鎖に、いま僕は興味が向いていない。安心なまま、もしくは不安なまま始まって終わっていくことについて考えていたい。とても難しい。

晩は三田さんに呼び出されて古書センター上のサロンへ。苦笑しかもたらさない文化芸術病の集いが行われていて、2分と経たずに退席、近くのバーへ。こちらも1杯で退席して、Nonへ向かう。自分がどうしようもなく保守的な人間なのでなおさらなのだろうが、2月からこの店にもたらされた変化、たとえば閉店が3時から1時に、ビールがエーデルピルスからヒューガルデンに、紅茶方面がメニューから消失、2Fの席が小テーブル×2から大テーブル×1に、などに少なからぬとまどいを覚えてしまう。どのくらい少なからぬか、というと、さくら組おとめ組分割ぐらいに、だよ。カウンターにはひさしぶりの荒木さんが入っていて、サーフィンの相談ごと。やはり焦りすぎだとわかった。選手コースみたいなところで水泳をやっていた彼でも、ちゃんと横に走れるようになるには1年かかったという。ほんだら俺は。偶然はち合わせたアーバン・ピクシーにビールをおごっていただいた。

近所に、といっても歩けば4、5分かかるのだが、深町の交差点近くに新しいお店ができていた。営業時間が朝8時から翌4時ときばっていて期待が持てるのだが、いまひとつ受け入れがたいところもある。一見して資本の匂いが漂いまくっているのだ。投下されてる額も見るからに大きいし、クリーンで整然としていて、気を許せるようになれる雰囲気がない。店内はファイヤーキングカフェに少し似ている。デートや打ち合わせにはとてもいいだろうが、生活のメニューに組み込むような親しみを覚えられそうにはない(例えばロータスを日常に組み込めるだろうか。そういう人がいるのなら、友達にはなりたくない)。勝手にこんなことを思われてしまうのだから、ほんとうにお店を作るのは難しいことだろう。近いうち、遅い時間に行ってみたい。