朝目覚めたら、上唇の裏、左の糸切り歯のあたるとこがさっくり切れていた(笑)。一体俺に何が!

起き抜け、ソファに付いた血を濡らしたティシューで叩き、転写して落としているとインターフォン。椎名だった。現在奴は社会的には失踪中の身であるらしく、身を潜めている手持ちぶさたに飽きてぶらりとやってきたわけだ。で、まあこっちゃ寝起きなのでボケーっとほっぽっといたら知らぬ間に帰っていた。それに気づいた頃にはこちらもようやく覚醒し始めていて、色校の直しをしたり原稿を書こうか書くまいか迷いつつ書いたり書かなかったり、昨日もらってきた資料のリーフレットに目を通しながら茉莉花茶を飲んだりしていた。こういう昼下がりにはネルのパジャマにカーディガン、ウールのソックス(5本指だとなおよし)がベストマッチングだとは思うが、いかんせん最近怠けがちでパジャマを着なくなってしまっているため、長袖Tシャツにフリース、というどうにも半端で格好の付かない、コンビニ着みたいなまま寝たり起きたりしている。もう少し自律的な暮らしを心がけないと。

午後に入って昨日のタイル屋さんがやってきて昨日の続きをしていく。さすがに目地の仕上げはプロだね。タイルは貼るのより目地の方がずっとずっと難しい。今回ばかりは自分でやらなくてよかったと思う。サーサマと90年代のオルタナティブ発見についてメセンしたあと、軽く午睡をとってから散歩へ。いよいよ寒い。縮こまりたがるところをちょっと無理して背筋を伸ばす。そして肩をすくめてへちゃむくれの娘さんたちとすれ違う。昨日の酒のせいか頭が重い。歩きながら考えてもオルタナティブ・コンセプトの結論は定まらないが、基本的にその末路はまったく明るくないと思う。あ音楽ジャンルの話じゃないです。オルト・カルチュアとかオルト・インベストメントの用法のほう。

代替的価値を保守的価値と等価に取り扱う、という手法の敷衍は、サブ/カウンターの人たちにルサンチマンが解消したと夢想させるに十分なパワーがあったけど、でもそれだけだったと思う。無職と有職ならやっぱ俺は有職の方がいいし、死体と花なら花のほうがいいし、錦糸町紀尾井町なら紀尾井町の方がいい。錦糸町や無職生活や死体に美が宿るのを発見して、大声で喧伝できたのはいい時代だったけど、だからといってそれがフラットな等価性を得たなんて冗談じゃない。それを市井レベルにまで引きずりおろされたポストモッダーン的状況、と勘違いした人も多かったと思う(俺もだよ)けど、現実には怠惰や不甲斐なさのエクスキューズとしてくらいしか機能しなかったと思う。かいつまんで話すのが下手くそでゴメンな。つづきはササマがパン工場で書いてくれると思う(笑)。

北風に体温を奪われないよう気を張っていたら勢いづいてしまったのか、ふと気づいたら思いのほか遠くまで歩いていた。あ、やべえやべえ帰りタクシーになる(笑)と思って引き返した頃に、ずいぶんごぶさたなMちゃんから電話がかかってきて、飲みましょうよう、とか言われてのこのこ出ていく。明日こそブーツを買おう。