5:03AM 雪! 雪!(Macの方に。再掲。こっちはダメなほう。だからアメリカ人は!)

やっぱりサーファーっていうのはどっか壊れてると思う(写真はここのミラー)。


エスロピ主催の「第1回ハロプロ楽曲大賞2002」に参加してみよう。

1.男友達/モーニング娘。
2.そうだ!We're ALIVE/モーニング娘。
3.I&YOU&I&YOU&Iタンポポ
4.BE HAPPY 恋のやじろべえ/タンポポ
5.なんてったって社長令嬢/モーニング・タウン

セレクションは存外すんなりいったが、順位を付けるのは難しかった。結果としてトップはなっちでタンポポ2曲という、これ選んだのほんとに俺か? という気がしないでもない順列に落ち着いてしまった。総評はあとに回して、あとののボエー! とかそういうのは置いといて(笑)、各曲について少しずつ。

1位については「なっち」とだけ書いてしまえばそれで十分すぎるのだが、鈴木俊介のアレンジメント・ワークをもうひとつの大きな理由としたい。彼の特徴としてケーデンスの手癖と歌謡曲にしては執拗なリフレインが挙げられ、前者は、具体的にはメジャー2度の多用と変則パッシングディミニッシュなのだが、胸キュンと泣かせを野暮なく共存させるのに大いに貢献していると思う。これは武道館をペンテコスタル派教会に見立てたフルユニゾンゴスペル、「でっかい宇宙に愛がある」において最大限に発揮された手腕の巧みな焼き直しであり、アナライズしてみればこの2曲は構造的にまったく双子であることが容易に判明するだろう。後者はシークエンス・ミュージックを長く聴いてきた自分にとってはまったくもって好ましいし、もし終盤のリフレインが1時間つづくバージョンがあるのなら僕はそちらを選ぶ。加えて告白しておくならば、モージカル大団円において僕は、「でっかい〜」のリフレインが永遠に続くと信じてやまなかった。娘。たちへの気持ちは、似ているどころか祈りそのものだと僕は思う。

2位。これについては風のあいださんによる指摘、つまりラブマによって開花した声ネタ路線とミスムンによって見出されたメドレー形式の臨界点である、という見方が正鵠を射ているだろう。スタジアムロックとクラビファンクの親和性は慧眼だった。感慨深いのはラブマにみられる強いヤケクソ感が焦燥に転化していることで、これは追う側から落とされる側へ反転した娘。の立ち位置の変化というよりは、世の中の空気が抜き差しならないところまできていることの発現だと考える。焦燥感はサウンド的にはプッシュするビートによって印象づけられており、中でも8小節キープされたBoomBoomBoomBoom〜の刻みには快哉をあげた。また過去への拘泥を断ち切るシンボルに留守電を持ち出すのだが、メモリーが消滅してしまうやるせなさというのは実に現代的で、それへの対処として拳を上げろと促しているのはデジタルとパンクマインドの近接という意味で示唆的だ。拳の向かう先は努力、未来、そして前進という純粋なポジティビティで、僕はここに00年代のブルーズレスな喪失感、そしてデスの末に晴れ渡った闇を見る。

うわ長くなってんじゃんサクサク行こう。3位。ソングライティングでは今年のつんくワークス中ベストの出来であり、技巧と率直さのバランスシートにおいて飛び抜けている。まったく好みではないもののアレンジメントも秀逸で、粗製濫造とののしられる今年のつんくが咲かせた、戦場の花のような佳曲だ。4位。みんな名前見て笑ったんだろうけど、dragon(タツシくんお元気ですか?)によるリズムトラックがグッときた。前に書いたがあれは歌謡曲に転用したニュージャックスウィングで、80年代末から90年代初頭のチャートに聞こえたテディ・ライリーの仕事を懐かしく思い出す世代にとってはたまらないノスタルジー発生回路となり、懐古的なイクゾー・フロウ(cf.オラの村には電気がねぇ)がそれに追い打ちをかける。永井ルイの12弦リッケン的プロダクションとの相性も思いの外いい。5位。モージカルから1曲なら、キッチンバーガーよりこちらを選ぶ。短すぎるまりっぺの出番を、補って余りある瞬発力。こんなとこかな。次、総評。

今回選出するにあたって、僕が娘。たちに注いだ偏愛を、ある程度の距離をもって眺めようと心がけたのだが、そのコアエンジンをざっくりまとめてしまえば、ファンクチューンとフォーメーションダンスを適用したつんくワークス、彼女らが放つキラキラ感、そして文脈読解の愉楽、の3つに落ち着くと思う。そして、今年はその各々が喪失された年となった。つんくワークスについてはエスロピに掲載されたリストの楽曲量を見れば一目瞭然だ。ハロー・プロジェクトとはよく言ったもので、プロジェクト管理の現場にまつわるティピカルな諸問題が発生したことはいまさら述べるまでもない。キラキラ感、言い換えれば快活な金髪の人たちへの憧憬は、これは個人的な事情だがごっちんの退場によって大きく後退した。「やる気!IT'S EASY」のイントロでイエーイ!と声を張るごっちんを見て、ああ、魔法が解けたんだ、と僕は即座に理解した。そしてエスロピの閉鎖。僕はいわゆる娘。アンテナ界隈を意図的にほとんど読まなかったし、このサイトにもほとんど娘。について書かなかったけれど、エスロピだけは毎日見た。前に娘。のことをコンテクストとエクリチュールの芸能、と書いたけれども、かつてエスロピがサポートした情報量がその原動力となっていたことは疑いようもない。そしてその背後で何らかのテクスト解釈にまつわるクリティックなシーンが存在するのを感じていたし、それは偏愛を注ぎ読解に明け暮れる日々の中で、とても大きな力になったと思う。

でも、これらみっつとも、もうありゃしないんだ。僕の愛した娘。たちは、いなくなってしまった。仮に99年の8月から02年の9月までの37ヶ月を「ゴマ期」と名付けるなら、僕の興味はそこでもう、多くの人にとってと同じく閉じてしまったと思う。この先、熱心な職人の手によってゴマ期のTV、ラジオなど諸メディアのファイリングが進むだろうし、それらmpeg、mp3をまとめたCD-R15枚組が裏路地で発売されるなら、僕は3万円で買いたい。そして時系が閉じたことによって、いよいよ娘。にまつわるテクスト解釈は、すでに閉じているプレゴマ期の解釈をともないつつ、本格化の時代を迎えるともいえよう。みんなの情熱がどこまで続くかわからないけれど、それはバイブルやマルクス読解に近接するところまでいけるポテンシャルを有していると思うし、事実その萌芽はそこかしこにあるだろう。でも、僕はもうダメだ。モージカル第3部のライブアクト、あの思い出だけを胸に抱いて、老人は墓に入りたいと思う。以上。