16日は睡眠、仕事。晩に瀧坂と潤くんが来宅。17日、目覚めて愕然、打ち合わせをひとつ寝過ごしてしまう。自宅でフォロー、その後、ジャリを1週間近くほったらかしたので、罪滅ぼしにみっちり遊ぶ。暮れかけに古今、帰宅するとバイク便と留守電が山盛り。

テレビを点けるとソニンが走っていて、その姿に言葉を失う。簡単に説明すると、EE JUMP解散によって身ひとつとなったソニンが、自分はいったい何者なのかを発見するため、故郷の高知から親類のいる韓国まで560kmをひたすら走る、という企画。お茶の間でズタボロの素人マラソンを眺める人柱鑑賞は24時間テレビのお手の物だが、ソニンにトロリンのような劇場装置は用意されていない。流れている映像はほとんど症例というかスナッフフィルムとしか思えない殺伐としたものだ。泣き顔はデフォルト、嘔吐シーンは何のフィルタリングもなしにマイクの音がそのまま流され、そしてフィルムは、沿道から送られる声援に頭を抱えて耳をふさぎ、半狂乱で嗚咽しながら駈け逃げるソニンの姿で頂点を迎える。

インポーズされるのは、走ったところで私は何も見つけられやしない、とか、事務所に走らされて何になるのだろう、といった凄惨なモノローグ。とりあえずこんな映像がゴールデンに普通に流されているのだから、この国の人柱希求も来るところまで来た感じ、と言う以外ない。いまや最高の癒し系は、最高に可哀相な他人の姿となった。他人の痛みに漬け込んだ涙を流すのは趣味ではないが、高知の在日の可愛い娘さんを痛めつける、という生半可なさには、がんばれも感動もなく、ただ頼むから走るのを止めさせろ、との願いからとめどなく涙がこぼれてくる。それでもソニンは走り抜け、雨で潜水夫のようにふやけた足の裏をカメラは映し出す。オーバーラップするカレーライスの女のサビ「なあんも無い、なあんも無い。なあんも無い、なあんも無い」。

あのふやけた足の裏に、僕は見覚えがある。もう10年も前の冬のこと。あの日の僕も、よれよれの濡れねずみだった。いやな記憶を呼び起こされたもんだ。いやなことは重なるもので、晩にちらっと飲み出ると、その記憶にまつわる思い出話が思わぬところから飛び出し、酔った心を完全に乗っ取られてしまう。うれしいはずのAさんからの電話も効力を発揮せず、冷たい雨の中、憂鬱を体中に湛えて帰途に着く。またもや濡れねずみ、湿った靴、肩を渡る寒気。暗い道、街灯が照らし出す雨筋、滲んだテールランプ。ここでフォークソングに向かわないために何が必要なのかを、僕はずっと考えてきた。

ネガティブなことに直面した後、人はよく、つらい出来事だったけどおかげで○○が得られて結果的にはよかった、みたいなネガポジ転化をもってして、体験を経験に消化しがちだ(フォーク)。でも、僕はそんな風には思わない。やっぱり酷いことは酷いことのままで、この世に厳然として存在するし、それを変に消化して語るのは世界に対する誠実さに大いに欠けると思う。ネガティビティを抱きながら暮らし続けられないのは、ある種の邪悪な脆弱さですらある。そんなわけで、僕はあらゆる所業にブルーズを仕込み続け、憂鬱な雨を愛でて暮らしていこうと思うのだ。

なんてことを言いながら一方で、僕はいま、猛烈にお金が欲しい。4億もあればなんとか足りると思う。使い途は簡単だ。骨格矯正、性転換を含む全身整形と、新しい戸籍、履歴、家族。そしてUFA方面の買収。シングル曲のフォーメーションダンスに関しては、すでに1週間あれば現場に出せるくらいの習熟度に到達している。タグみたいに自分の娘を13期メンに入れたい、なんてこと僕は言わない。やっぱ自分がなんなきゃ意味がない。誰か僕を、6期メンにしてみませんか。ちゃんと投資に見合った見返りを約束しますので。