晴れなくていい、っつってんのに海に行くとことごとく晴れる。それは脱がなくていい、っつってんのにことごとく脱いでしまう元ラブタンのエリにも、開けなくていい、っつってんのにことごとくストックのワインを開けてしまう曽根バーの曽根さんにも似て、うれしいのに困る、困るのにうれしい、という僕のいちばん好きなスタイルのうれしさをプレゼントしてくれる。かならずマイナスの後遺症が残って(日焼け、不本意な欲情、宿酔い)、その痛み、苦さによってうれしさが反芻できるのが素晴らしい。

この日、小笠原のはるか東海上には今年最後になるかもしれない台風が陣取っていて、湘南の海はその大いなるうねりを受けつつも高気圧に覆われ快晴、という絶好のコンディションとなった。サイズはセットでオーバーヘッド。どんな感じかというと、海沿いの国道に垂直に交わるT字路での会話を紹介したいのだけれど、「よしゃー海見えたでー」「あれ、海岸で焚き火かなんかやってる?」「煙上がってるね」「・・・・」「・・・・」「・・・、波?!」普通さ、水けむりと火の煙って、質感も挙動もぜんぜん違うから見間違うわけがないでしょ? それが、海岸からコンクリで5mくらい立ち上がった国道の高さに、真っ白で濃いスモークが、こう、もくもくーって。うわー!

国道はサーファーのクルマで渋滞していて、どのドライバーも、視線は前方ではなく海を見下ろしている。晴れ渡った水平線の向こうから、均等間隔できれいに引かれたラインが押し寄せてくる。こんな海を見るのは初めて。これがタイフーン・スウェル。うねりのラインは浅瀬に乗り上げると、強いオフショアに波頭を吹き飛ばされながら、暴力的な速度で崩れ落ちる。そっから岸までは、ただ真っ白。かなりつながり気味でダンパー(徐々にではなく一気にバシャーンと崩れ落ちる波。もちろん乗りづらい)な波質にも負けず、意気盛んにバカでかい波に挑んでいくベテランさんたち。一気に呑み込まれ、ボードが小さく宙に舞う。ごく、ごくたまに端から割れるセットがあって、それを拾ったラッキーボーイが、泡しぶきから逃げるように、オオーッ、横に走り抜け、る、抜ける、が、ア、捕まったザブ〜ン。で道路を見ると、前のドライバーも対向車線のドライバーも「アア〜ッ」って。

聖地、と言っていいのかな、とりあえず台風の入った湘南ではもっとも良い、とされる波が立つ稲村のアウトでは、キチガイみたいなグーフィーが割れてました。あれはローカルの人たちと、ごくごく限られた上級者のためのもの(らしい)。浜から見てるとギャグにしか見えない無鉄砲ぶりで、さすがにああいう風景にまでなると、いまの自分のドが付く初心者っぷりと連結した地平にあるできごとだとは思えないし、実際僕があそこで波を取れるレベルになるまで上達するのに必要な年数を考えると、その頃にはもう老い、という別のファクターによって道は閉ざされているのではないかと思う。つまりどうやらあそこには一生手が届きそうにない、という厳然たる事実。いや、年の功で図々しくなって行っちゃったりすんのかなあ。いつか。

もちろんそんな海に入れるような体力も度胸もありませんので、湘南ではもっとも波が穏やかで、普段はほとんどサーフィンにならない由比ヶ浜へ。かなりマシとはいえ、ここでも余裕で肩ぐらいあるよー。駐車場が開くまで20分ほど待って、その間僕は待ち切れなくて車内でシーガル(半袖長ズボンのウェットスーツ)に着替えたりして、うずうずしながら海を見てる。クルマを地下駐車場に入れていざ浜に出てみると、タバタと目を合わせて苦笑い。上から見下ろすより、当たり前だけどさ、でかいなあ。それでも僕は、最初にサーフィンに行った日が今日を断然凌ぐ、年に数回のビッグウェーブの日だったので、まああれに較べりゃ、と思えて気が楽だ。あんな日に「とりあえず入ってみてからサーフィンの話しよっか」と言って僕を海に入れた荒木さんの荒々しさに、あらためて驚きと感謝とを覚える。

ザッバーン。うっはー。崩れてくる波をやりすごすには、浮力のある板を腕力で沈めて、体ごと水中に潜るしかない。これをドルフィンスルーというのだけれど、僕の腕力ではまだまだ沈ませるのが不十分で波の力を受けてしまい、上手い人がやれば浮上時に前進するはずなのに、ぜんぜんまったく後退している(笑)。それでもヒイコラやってるうちに気づけばアウト(白波が立つ地点より沖側)に出ていて、あっれー? とか思っていると、楽に出られたはずだ、潮が沖に向かってかなり強く流れている。ボケッとしてると海上保安庁ヘリのごやっかいになりそうな勢いなので、今度は浜に向かってみんなしてパドリング。なんとも人の都合を聞かない海さね。

入って30分も経たない頃に、まだ体力も余っていたせいもあり、これまででもっともいい感じで、しかも他の誰も乗ってくることなく、セット(いくらかの周期性を持って数本まとまってやってくる大きな波)に乗ることができた。ところがこれがもう、泣きそう(笑)。まずテイクオフの位置が高くて、要するに視線のはるか下(実際には1.5mくらいだけど、気分的には2階だよ)に他のサーファーがいるのね。で、割れる前から水しぶきがショワショワショワってすごくて、うわ見えねえ〜、とか思うか思わないかのうちに、垂直に落下するような角度で滑り出す。めちゃくちゃ怖い。でもここで投げ出すと呑まれて巻かれてもっと酷い目(フィンで頭切るとか)に遭いそうだから、なんとかボードにしがみついて降りていく。

ほんとはここらで立たなきゃサーフィンにならないわけだけど、そんで実は最近小さな波なら立ち上がれるぐらいにはなっていたのだけれど、もうボードの暴れ方がババババババッってそれどころじゃなくて、膝立ちで押さえつけるだけで精一杯。あとは心の中で「みんなどいてえええええ」って泣き叫んでるうちに、気づいたらもう浜辺だ(笑)。大きい波を取れるのは、なんてうれしい、そんでもってなんてめちゃくちゃ恐ろしいことだろうか。みなさんあんなのに乗ってらっしゃるんですか? 気は確かか?

しばらくして波質が少し変わってきてさらにダンパーになり、人も増えだし、僕も浜向けパドリングに疲れが来て、アウトでのスリル体験はおしまい。あとは初心者のみなさんに混じって、インサイドでのスープ(泡)ライディングで練習練習。でもこの時点でもう腕は完全に上がっていて(なにせ3晩寝てない、ということを忘れていた。読んでいるみんなも忘れていただろう・笑)、正直スキルアップに繋がるような練習にはならなかった。今日の収穫はこれまででもっともサイズのある波を体験したこと、ということにして、あとは浜に寝ころびヘタレた姿を晒しまくってタバタが上がってくるのを待ち、引き上げる。10月だというのに砂は熱を孕み、日に焼けた頬がすでに痛い。由比ヶ浜、肩セット頭、ダンパー、3時間。

いま日記を読み返したら、これで始めてから1ヶ月半、7回目の海行きになる。僕は少し泳げるくらいでお世辞にも運動が得意とは言えないし、むしろ運動音痴な部類に分類された方が落ち着きがいいくらい。体育の成績はいつも全教科でいちばん悪かった。アトピー持ちの腰痛持ちで、センスもバランス感覚もかなりなく、体格的にも体力的にも反射神経にもまったく恵まれていない。要するに大したヘタレ野郎なわけで、しかも28歳で体力の峠はずいぶん前に過ぎている。そんな図書館方面の文系人間が、何の巡り合わせだか(酔った勢いで飲み屋からの海行きクルマに乗り込んだ、というのが正解)サーフィンにのめり込んでしまう、というのはかなり皮肉な事態であり、同時に誰かを勇気づけるくらいの滑稽さを伴っているとすら思う。いままで海での実際について詳細するのはキャラ違いからの恥じらいもあって避けてきたが、そんなわけでこれからは少しづつでも書いていこうと思うのだ。

長くなってきたがもう少し付け加えるとするならば、回を重ねるたびにサーフィンはますます楽しく、僕は毎日でも海に行きたくて始終うずうずしている。毎回が発見と驚きと苦渋に満ちており、帰りのクルマでは腰痛と悔恨にまみれながら、くふくふ笑って海に出る夢を見る。なんなんだこれは。初心者があまり大層なことを言うもんじゃないとは思うけど、僕はその理由を、少しだけ知っている。それは簡潔に言えば、海に対する人間の無力さがもたらした、圧倒的な平等だ。プロから初心者までの力量の差なんて、海と人間の力量の差を前にしたらあまりにも小さい。だから海ではみんな自分のことで精一杯だし、他人の目なんてなりふり構ってらんないし、いつでも一生懸命であらざるをえない。でないと死ぬし、それでも死ぬことすらままある(らしい)。余裕ぶっこいて好き勝手やってられるのは、海さんだけだ。

僕のことを少しでも知ってる人は、僕がいかに自意識過剰で自己愛まみれで見栄っ張りで自分勝手で強欲で狡猾で頭でっかちでしかも偏屈な人間だかよくわかってると思う。さっきもキャラ違いで恥ずい、みたいなことをちらっと書いたけど、驚くなかれ、そんな、そんな僕がだよ、海では、うまくできないことが、ちっとも恥ずかしくないんだ。そりゃ悔しいよ、いっぱい悔しい。でも、下手ッくそだったところを誰かに見られちゃったかしらキャア赤面ー! みたいなことはまったくない。しかもボードやウェットスーツは荒木さんからのお下がりでもらった時代遅れもいいとこで、物欲方面における過剰なこだわりを職業にまでつなげた僕としては、ありえない質素っぷりだ。でも、ぜんぜん恥ずかしかったりしないよ。用を足してくれるからすごくありがたい。大事にしてるし、これからもする。それどころか、あれほど気に病んだ短躯も、頭でっかちも、短足も、毛深い脛も、太い腿もデカい尻も、貧相な胸板も、短く節くれ立った手の指も、伸びかけた坊主頭も絶壁も、アトピーの湿疹も、十人並みに届かぬツラ構えも、この救いようなく浅はかで臆病でしみったれた言葉たちも、粘っこく甲高い声色も、なんと恐ろしいことに、まったく恥ずかしげもなく人前に晒しだしているのだ。これまでことごとくそう思って過ごしてきたように、みっともないかしら、なんて、浜に上がって着替えるまで、ちらとも思った試しがない。

こんな風に他人からの自分の見かけが気にならないなんて、水泳でも、バスケでも、フットサルでも、もちろん音楽だって読書だって夜遊びだって仕事だってセックスだって、要するにこれまでの人生でまったくなかった初めてのことだ。海に出て意識が向かうのは、やってくる波の具合と、自分の取るべき挙動と、あと誰かの妨げになっていないかってことだけで、それだってワタシここにいて不釣り合いな人間じゃないかしら、みたいな卑屈方面じゃなくて、他人のサーフィンの迷惑になってないか、ってルール意識に基づいたものでしかない。なーんでか、っていうと簡単で、海は自意識を発散させてくれるだけの余裕を、微塵も僕らに与えちゃくれないんだ。僕のような初心者が、ドルフィンうまくできなくてザブーンって巻かれたりしてるそのちょこっと沖では、10年選手のベテランが新しい技にトライしようとして、やっぱりザブーンって巻かれて塩水呑んじゃったりしてる。サーフィンは、たぶん、打ったり走ったり投げたりで達成できるようなレベルで上手くできる人なんていないんじゃないかな。

このメンタリティは何に似ているか、といえば、僕はいまのところ、旅だ、という答えしか見つけられない。旅行中は、ツアーとか優雅なリゾートは知らないけど少なくともリュックを背負ったクラスの旅では、その時間の大半を、寝床や食事や移動や保安、つまり大げさに言えば生存のための手配に費やして過ごすのが常だ。なにしろうだうだしてるとベッドやメシにありつけないかもしれないし、バスを逃すかもしれないし、有り金全部パクられちゃうかもしれない。だからこそ旅は自分に対するピュアネスを取り戻す時間になるし、余計なサムシングはどんどん削ぎ落とされていく。少なくとも僕が知っている旅はそんな風にいつでも精一杯で、それゆえに海に入って精一杯のメンタリティとずいぶん似ているのかもしれない。その証拠にサーフィンと旅はすごく仲が良くて、ヒッピームーブメントのそのずっと昔から、良質な波を求めるサーフトリップは世界中で繰り広げられてきた(らしい)。エンドレスサマーとか、なんかそういうやつ筆頭に。ただ旅とサーフィンが違うのは、後者は日常に組み込めて、日常をうきうきわくわくでいっぱいにしてくれる、ということだ。

さてずいぶん長くなっちゃったけど、仕事の原稿じゃないからオチはないよ(笑)。もう2時間もキーボードを打って目が疲れた。でも最後にこれだけは言おうと思うんだけど、こんなネットの辺境にある日記をチェックしにきてくれるようなみんなだから、終わりの見えない情報戦(ニュースサイト、とかさ)と文脈読解(娘。とかトミノとかさ)の中で肥大させた自意識の処遇に困ってる人も少なくないんじゃないかと思うんだ。そんで、そんな中でまだまだ凌ぎを削っていけそうだったら、ぜひとも行けるとこまで突っ走ってすんごいロゴスを構築してほしいし僕もそれを見たいけど、もしもてあましちゃって狂ったりドラッグ噛んだりしないとやってらんない感じにまでなっちゃったら、処方箋のひとつにサーフィンってのがあることを憶えておいてほしいんだ。肌が合うか合わないかだけはわからない(素質に恵まれてるのにすぐ止めちゃう人はいっぱいいる)。でも、何歳だろうが鈍くさかろうが、僕が大丈夫だったんだから、始められないわけがない。これからクソ寒くなるからすぐにとは言わないけど、とりあえずそれだけ言いたかったんだ。そんな余計なお世話焼きたくなるくらいすんげえもんに、今年、僕は出会った。

付記:これは見るも無惨な(笑)私信だけど、関連深いのでここに書いておこうと思う。昔、その頃付き合っていた女の子と、2人とも大好きな歌手の書いた歌詞について、決定的に分かり合えなかったことがあった。歌の節はこうだ。<この世の不幸は/すべての不安/この世の不幸は/感情操作と嘘笑いで/別に何でもいいのさ>。僕の解釈はこうだ。「すべての不安と、感情操作と嘘笑いが、この世の不幸。でもそんなもん別に何てことないもんなんだよ」。そして彼女と、彼女の友人たちの解釈はこうだ。「感情操作と嘘笑いを使えば、すべての不安なんて別にどうでも良くなっちゃうよ」。歌詞解釈論争なんてロキノンじみてて僕らが最悪に毛嫌いするところだったので、2度と言い合うことはなかったし、それ以上に当時僕は彼女の説にもある種の説得力を感じていたので論駁できなかったのだけれど、いまならはっきりとわかる。僕は僕の感じ方のままでいく。君はそんな、ガンバレソングみたいな歌詞ありえない、と言うだろうけど、だって海では感情操作も嘘笑いも通用しないもん。じゃあ浜では? この調子だと、そのうち海も浜もなくなっちまうよ。あとに続く歌詞はこう。<みんなが夢中になって/暮らしていれば/別に何でもいいのさ>。